ラトビア便り

ラトビア在住の日本人男性が、この国の文化を紹介。音楽情報などを通じてその魅力を探っていきます。

2008年10月14日

リーブ語教室

 ソ連時代を中心に活躍したラトビアの伝説的大女優、ビヤ・アルトマネ女史が亡くなったというニュースが入ってきた。テレビで関連ニュースを見ていたら、何とロシアのメドベージェフ大統領の名で弔電(手紙だったかも)が来たという。ラトビアだけでなく、ソ連全土にその名を知られた、往年の大スターであったことを示すものだ。その後の報道を見ていたら、葬儀はリーガ中心部の東方正教会でしめやかに営まれ、数千人が参列したため周辺の公共交通は運休または経路変更となり、ロシアのマスコミはこぞってアルトマネを称賛したが、ラトビアに対しては批判的であった、等々。
 さて、毎週月曜日の夕方、社会統合省というところでリーブ語教室が開かれている。「社会統合省」というのは、少数民族や同性愛者など、社会のマイノリティの問題を扱う政府機関で、リーブ民族を担当する部署もある。が、すでに書いたように、今年いっぱいで廃止が決まっているので、どうなるか心配である。今のところ、リーブ語教室には誰でも参加でき、社会統合省が講師に給料を払っている(はずな)ので、受講料は何と無料である。夏休みが明けて、何の話もない上、省の廃止が決まったので、どうなることかと関係者はやきもきしていたが、10月13日から新学期が始まることになった。私は以前ラトビア大学でリーブ語を習い、その後この講座で引き続き勉強したのだが、月曜の夕方には用事が入ってしまうことが多いので、断続的にしか参加できない。覚えては忘れ、を繰り返していて恥ずかしい限りなのだが、今は時間的余裕があるので新学期の授業に参加することにした。
 普段、授業は6時から7時まで初級、7時から8時まで中級(「より賢い人のための授業」と言っている)である。この日は初回だったのと、絵画展などいろいろなイベントがあったので、それに関連してスピーチ(中級の先生は最初リーブ語で、そのあとラトビア語で挨拶した)ミニ合唱コンサートなどが開かれ、お茶とお菓子で歓談した。われわれ中級はそれから授業というのも変である。どうも初級の授業はその時に先生が「挨拶の言葉を覚えましょう」といって自己紹介の文などを教え、それで終わってしまったらしい。
 中級はたいてい顔馴染みがいるのだが、今回はその世界(?)の大物が二人いるので驚いた。と言っても二人とも20代の若い男性である。一人はスタルト家という音楽一家に生まれ育ち、自ら民族音楽グループや民族工芸制作の活動をし、また両親ともども政治にもかかわっている人物である。彼の祖父はリーブ語で詩も書いていたので「君は習わなくてもできるだろう」とみんなに言われていたが、12歳でその祖父が亡くなるまでリーブ語を聴いて育ったものの、きちんと勉強しなおしたいという。もう一人は写真家でかつコントラバス奏者という異才で、もともとリーブ語に触れる機会はなく、長じてリーブ人のルーツを知り自分で勉強したという。ラトビア人はたいてい、多かれ少なかれリーブ人の血を引いているというから、授業の参加者の中でまったく彼らの血をひいていないのは私ぐらいのものだろう。しかも久し振りだというのに、私にも容赦なく質問が浴びせられた。しどろもどろで答えるのがやっとだったので「しばらく来ない間に、大分忘れちゃったねえ(苦笑)」と言われてしまった。がんばって思い出さねば。