リーガ・ラトビア協会140周年行事
リーガ中心部の、ラトビア大学本部校舎と音楽アカデミーの間に、リーガ・ラトビア協会という施設がある。建物自体は3つ並んでいるが、出入口はみんな違う通りに面している。以前、ここにもコメントをくださっているある方から、「たとえば、他国のラトビア移民の団体が『ラトビア協会』を名乗るのならわかるが、ラトビア国内にラトビア協会があるなんて、変じゃないかね」というご指摘(?)を受けたが、この協会は帝政ロシア時代に作られたので、ラトビア人がまだ自分の国を持っていないときにこういう名前の団体を作ったと知れば、一応納得がいくのではないだろうか。
ラトビア協会は創立140周年を迎える。現在の会長はルームニエクス氏という作家で、歴史ものの長編小説などを書いているほか、詩人A.チャクスの全集を編纂に携わった(去年11月のブログ参照)。同協会には様々な部門があり、音楽や言語のことをやっている部門もある。館内にきれいに修復されたホールがいくつかあり、文化行事やコンサートなどが頻繁に行われている。音楽部門は、私もかつていろいろイベントを手掛けた時にお世話になった。私が話をつけると、無料で使わせてくれることもあるのである(関係者への謝礼は必要だが)。そのほか言語のことをやっているグループとも、かかわりを持っているので、10月21日に彼らが企画した、ラトビア大学人文芸術学部のクルスィーテ教授の講演を聴きに行くことにした。
クルスィーテ教授は女性で、主な研究分野はフォークロアや詩などであるが、とにかく大変な碩学であり、多くの著書をものしている。最近まで長らく学部長を務めていた。民族主義的な考え方を強く持っているが、私の見るところバランスが取れており、ロシアやアジアの文化などにも一通りの知識を持っている。大教室での講義でも、私がいると必ず日本の話をする。時々難しい質問をしてくるので、講義を聴くだけでも身構えてしまうのだが、学問とは本来受け身でするものではないのだからこれは正しい。でも私には大変である。
クルスィーテ教授はまずいつものように、マクラに私のことを話題にし(一番後ろに座っていたのに気づかれてしまった)それから本題のラトビア協会の文化活動に触れて、そのユニークな出版の歴史などについて話をした。ラトビア協会の歴史はそのまま、ラトビア人の民族意識覚醒、文化復興の歴史である。その後、講演会の主催者である言語グループのメンバーとの討論になり、彼らを中心に、ソ連時代に「ゆがめられ」、独立後もそのままになっている正書法規則を戦前のものに戻す主張が繰り広げられた。これについてはあまりに専門的になるので詳しくは別の機会に譲るが、簡単にいえば新かなづかいを旧かなづかいに戻そうとするようなものである。しかし、日本語の旧かなづかいは実際の発音とかけ離れてしまっており、これを復活させるのは現実的ではないが、ラトビア語の旧正書法は、現代語の発音や文法と照らし合わせてもある程度の合理性を持っており、たとえば外国人が初めからこれで勉強すれば、文法の基礎がしっかりしていれば殆ど何の苦もなく習得できるだろう。私もそれほど困難さを感じない。しかし、ソ連時代以降、現在に至るもラトビアで教育を受けた世代には、ある程度の困難を伴うようである。私は個人的に、どちらに軍配を上げるかといえば、中立であるとしか言いようがない。以前、ニューヨークの亡命ラトビア人の雑誌に記事を書いたことがあるが、新正書法で原稿を書いて送ったら「本誌の方針で、旧正書法に書き換えますけどよろしいですか?」と問い合わせがあったので「どうぞ、どうぞ」と言って直してもらったものだ。読む分には決まった規則に従って置き換えて読めばいいので全く問題ないが、正しく書くのは注意が必要である。詩人のブルーベリスはやはりこの旧正書法で詩を書いて文芸誌に発表したことがあるが、戦前の正書法辞典を時々引いて確認しないといけないと言っていた。また、その正書法をめぐって編集者と喧嘩にもなったという。旧正書法の本格的な復活への道のりは、まだまだ険しそうである。

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