ラトビア便り

ラトビア在住の日本人男性が、この国の文化を紹介。音楽情報などを通じてその魅力を探っていきます。

2010年6月2日

再び本をめぐるあれこれ

 ここ数日は大雨が降ったり晴れたりと妙な天気が続くが、気温はおしなべて暖かい。昼間は蒸し暑いといってもよいほどである。
 さて、また同じような話題の繰り返しになってしまうが、最近書店でいろいろな本を見ていて、思ったことをつれづれなるままに書いてみることにしよう。
 ある書店では、言語学の分野の本が何冊か並んでいるのを見かけた。はっきりいって、ラトビアではこの分野の出版事情はいいとはいえない。だからなおさら飛びついたのだが、まず、方言を記録した本が2冊ほどあった。そして、20世紀初頭に活躍したラトビアの2人の言語学者の著作集があった。どちらもけっこう厚い。こういう過去の学者の著作集というのは、さまざまな雑誌や小冊子などに掲載されていた論文を1冊にまとめるだけでも意義があるし、さらに現代の学者(その本の編者でもあろう)による解説があればなお良い。2冊とも解説があった。
 しかし、別の書店にはこんな本もあった。なんと、マルクスの「資本論」のラトビア語訳である。うがった見方をすれば、社会主義を放棄して20年余りになるが、貧富の格差の広がりや最近の経済危機など、資本主義の抱える矛盾を人々が感じ、最も「急進的」だといわれたバルト地域でもマルクスの再評価が始まったのか…ともいえそうである。しかし、この装い新たな「資本論」で新しいのは装い(表紙)だけで、中身をのぞいてみるとソ連時代に翻訳された「資本論」をそのままコピーしたという代物なのである。
 こういう本はソ連崩壊のころ、あらかた処分されてしまい、実は入手がかなり難しい(もっとも、欲しがるのもよほど奇特な人だと思われるが)。だからそのままリプリントして出版してもそれなりの意味があるのかもしれないが、現代の視点からの解説などあっても良かったのではないか。また翻訳するにあたって、ソ連時代と違ったテキストの解釈もありうるのではないか。
 まあ、出版社に罪があるとは思わない。買うか買わないかはこちらに決める権利がある。どのくらい売れるのか、興味のあるところだ。