ラトビア便り

ラトビア在住の日本人男性が、この国の文化を紹介。音楽情報などを通じてその魅力を探っていきます。

2010年8月14日

母、来たる

 このブログを2か月間ほったらかしにしているうちに、ラトビアではもう暑い夏が終わってしまったようである。
 確か7月末のことだったと思うが、西部のベンツピルスでは34.8度を記録した。日本と比べたらどうということはないかもしれないが、この北国においては各地で次々と観測史上最高を記録していた。連日、95年ぶり、いや百年以上ぶりの暑さだ、などと報道されていたのである。最近では、8月15日(日)には短時間、激しい雷雨に見舞われ、その後はカラッと晴れて再び暑くなったのだが、18日は涼しい。暑い夏の好きなここの人々は、もう嬉しくてしょうがないので羽目を外して遊んでしまい、日射病や日焼けのし過ぎ(のことを何ていうんでしたっけ?)、水の事故が多発した。しかしこの記録的な、現地の人々を苦しめつつも喜ばせた暑い夏も、ついに終りか、という雰囲気である。
 2ヶ月ぶりなのでその間の出来事を少し書いてみよう。7月なかばのある日、昼食時に中心部を歩いていたら、作曲家のペレーツィス氏とゼムザリス氏に、約30分おきに立て続けに会った。まったくの偶然で、面白いことである。ペレーツィス氏からは近々の演奏会日程のことを聞いたので、改めて書くとしよう。

 さて、やっと本題である。私の今までの長いラトビア生活で、親類が来たことは一度もなかったのだが、8月前半、ついに母がやってきた。両親が来ることを期待していたのだが、父は仕事の都合で来られなくなってしまったのである。生まれて初めての海外なので、どこに案内しようかといろいろ考えたが、結局普通にリーガ旧市街とアール・ヌーボー建築を見て回り、ユールマラの海岸を散策したぐらいであった。
 美術展はいくつか足を運んだ。リーガ・アート・スペースでは1950~90年のラトビア絵画展をやっていて話題になっていたので、連れて行った。これはちょうどソ連時代である。今となっては、半ば忘れ去られた感のあったこの時代の美術に、光を当てたということになろう。迷路のような展示スペースに非常に多くの絵画が展示されていた。なかなか充実していたが見るのは疲れた。

1 Comments:

Anonymous 母木樽 said...

「1950~90年のラトビア絵画展」――非常に興味を覚へるエクヂビション、どんな作品が並んでおったのか、紹介していただけますかな?
矢張り「鎌とハムマア」のノリなのでせうねえ。そんな中で、アレッ? と思ふやうなの、無かったですか?

2010年8月25日水曜日 11:16:00 GMT+3  

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