ラトビア便り

ラトビア在住の日本人男性が、この国の文化を紹介。音楽情報などを通じてその魅力を探っていきます。

2006年12月4日

スタイツェレ

 11月25日(土)、北部のスタイツェレという小さな町に行って来た。
 人口1200人ほどの小さな町だが、先住民族リーブ人の博物館があり、そこを訪問して、地元のリーブ人と交流するというイベントを、若者のグループが企画したのである。
 地元のリーブ人といっても、この地方のリーブ人は19世紀半ばには殆どラトビア人に同化されてしまい、言葉はそれ以降話されなくなった。だから、アイデンティティはラトビア人であっても、たとえば「実はひいおじいさんがリーブ人だった」という話が語り告がれている程度である。もっともリーガなどでも似たような状況だ。
 午後3時前、8人ほどの仲間と共にエストニア国境の町アイナジ行きのバスに乗り込んだ。大変な混雑で、あらかじめ切符を買っていなかった私は危うく座れなくなるところだった。途中でだいぶ乗客が降り、ようやく仲間達と固まって座ることができた。
 6時過ぎにスタイツェレ到着。関係者(といっても10代だが)が迎えにきてくれた。町の図書館を開けてもらい、荷物を置いて休憩。博物館を訪れ、町を散歩した。といってももう真っ暗なので、懐中電灯を持って歩いた。
 博物館は、かつてリーブ人が住んでいたが、ソ連時代接収され、荒れるに任せていた住居を、小綺麗に改装したものである。1999年に西部のリーブ文化の中心地マズィルベで作られたという、ビールの瓶には、リーブ語でいろいろ書かれたラベルが貼ってあって面白かった。
 その後9時にリーブ人歌手ユルギーさんが到着。イベントはささやかなもので、町の図書館を借り切ってリーブの歌を歌い、民族舞踊を踊り、今後の活動計画を話し合う、というものであった。公共図書館を深夜、こういうことに貸してくれるとは、町の行政の太っ腹に感心した。
 こういう集まりでは、お互い自己紹介をするとき、各々がリーブ人の血を引いているか、という話が中心になったのだが、私については友人が「彼はリーブ人の血を引いていません」と紹介したのが何となく面白かった。日本人であることも特に言わなかった。そういえば、リーガで行われているリーブ語講座で、私自身(もちろん受け狙いで)そういう内容の作文をしたことがあったのだ。
 彼らは若手のグループ、活発で体力もある。みんな話し合いなどしていて朝6時まで起きていた。最年長の私は疲れてぐっすり寝てしまい、たたき起こされた。みんなで6時半のバスに乗り、リーガに戻った次第である。