ラトビア便り

ラトビア在住の日本人男性が、この国の文化を紹介。音楽情報などを通じてその魅力を探っていきます。

2007年11月16日

詩人チャクス

 15日の昼間、不愉快なことがあったので、晩に何か楽しい行事はないかと思っていたら、20世紀の前半に活躍した詩人アレクサンドルス・チャクスの著作集第6巻のプレゼンがあるということで、チャクスの住んでいたアパートを利用した小さな博物館に行ってみた。
 本が出版されるときに、プレゼンテーションを行なうというのは、日本ではあまりない(私が知らないだけかな?)が、こちらではよくある。今回、チャクス著作集はこの第6巻をもって完結するということと、書店には既に出回っていて、値段を見たらかなり高かったので、プレゼンなら安く買えるだろうと踏んだのである。市価より4割ほど安かったので購入した。それまでの巻と比べべらぼうに厚く、1千ページを超えてしまったのは、未刊行の散文、音楽や演劇の評論などをどんどん入れてしまったからだろうか。これは最終巻なので「その他」である。チャクスの詩などの主要作品はその前の巻を見ないといけない。
 その前に用事があって遅れてしまったので、最初に何があったのかはわからない(訊きそびれた)が、編集責任者のR氏(小説家、ラトビア協会会長)が編集のエピソードなどを語り、その後研究者や編集者、出版関係者のコメントなどがあった。来ていたのは20名程度であったが、会場が狭いので立ち見が出た。
 プレゼンが終わるとコーヒーやワインなどを片手に談笑、となるわけだが(それが目的だったりするが)、私がもともと面識のあるのはR氏と、ラトビア協会に勤めるJ.J.氏だけであったが、いつしかみんな親しくなった。R氏は、「今の時期はイベントが目白押しで、連日いろんなところに顔を出さなくちゃいけないから、大変なんだよ」と言いつつ、チャクス著作集の完成という事業をなしとけたことを、心から喜んでいる風であった。
 この日、R氏が会長を務めるラトビア協会で、首相や大統領も出席したイベントがあったのに、そちらには副会長を差し向けて、会長さんは本のプレゼンに来てしまった。本のほうは編集責任者だから、優先順位が高いというわけで、なんとも合理的な考え方である。それでもラトビア協会でのイベントがどうなったか気になったらしく、R氏はなんと、首相に電話していた。「ラトビアは小さな国ですから、みんな自分の政府を持っているんですよ」とJ.J.氏が面白そうに言った。電話が済むと、みんながR氏に「そういえば、文化大臣にならないか、って話、あったんでしょ?」ときくと、「うんまあ、あったけどね」小国ではこういう会話は結構身近に聞くことがある。
 チャクスがソ連時代もラトビアにとどまっていたということで、話題は自然と当時の文学の話になった。「ロシアにはサムイズダート(ロシア語で「地下出版」、そのままロシア語で言っていた)があったけど、ラトビアにはなかったんですよ。なぜかというと、我々だけが「行間」を読み取ることのできる表現というのがあって、それらは検閲を通ってしまうんですよ。公に出版されたそういう作品を読んで、我々は行間を読んでなるほど、と感じることができる。我々のそういう感性は北欧に似ていて、ロシア人にはわからない。イプセン(ノルウェーの劇作家)の作品を例えばモスクワの劇場で上演しても、受けない。彼らには理解できないんですね」
 これにはずいぶん考えさせられた。思っていた通り、厳しい検閲はあったのだが、当局から見れば「問題」のありそうな作品が、そうして検閲をすり抜けてしまうなんて、本当にあったのだろうか?サムイズダートを出す必要もなかったほど、そうしてすり抜けた作品がどんどん活字になっていた、とすれば、あの時代の文化状況について、もう一度考え直せばなるまい。そして、世界文学を生みだしたロシアの人々にも理解できなかったということは、ソビエト化、ロシア化が急速に進んだといわれる当時のラトビア(の人々)は、一方でそうした感性を失うことなく、ソ連支配の半世紀を生き抜いた、ということなのか。私にとって、これは大きな課題である。
 こんな話をしつつ、打ち上げは大いに盛り上がり、気がつくと11時を回っていた。