ラトビア便り

ラトビア在住の日本人男性が、この国の文化を紹介。音楽情報などを通じてその魅力を探っていきます。

2011年4月12日

東日本大震災に関して

 前回の投稿からはや3か月近くが過ぎようとしている。私は相変わらずラトビアにいて春の訪れを心待ちにしているところである。雪はすっかりとけたが、まだまだ寒い。おととい、ユキワリソウが咲いているのを見つけた。
 さて、3月11日の東日本大震災から1か月になる。私は本震の数時間後、テレビのニュース(CNNだったと思う)で知り、愕然とした。さっそくその日の晩(現地時間)、実家に電話をかけたが、予想通り電話が全くつながらない状態で、2~3時間格闘した後、ようやく母と話すことができた。私の家族や親戚は被災しておらず、当面日本への帰国は予定していない。しかし、おそらく外国にいる多くの日本人が感じていることであろうが、このままここにいていいのだろうか、日本に帰って何かしなければ、と気持ちが揺れたのも事実である。その他、私なりにいろいろなことを考えた。長い文章になるが、私が本当に日本に向けて伝えたいことは最後の方に書いてある。
 言うまでもなく、未曾有の自然災害(そして人災)を前にし、私ごときに何もできないけれども、犠牲者の冥福をお祈りし、被災者の皆様にお見舞いを申し上げるとともに、1日も早く復興が進み、原発の問題が解決し、被災地をはじめ日本で安心して生活ができるようになり、外国の人も安心して日本を訪れることができるようになることを願うものである。そして、震災直後から、こちらの日本と関係ある人からも、ない人からも、お見舞いの言葉をいただいたことに感謝したい。しかし、今までこのブログに何も書かなかったのは、震災に際してここで何か、お見舞いの言葉や声明(?)じみたものを発して、何の意味があるのかと考えてしまったからである。私はラトビアにいる日本人を代表する立場ですらないし、ましてや、外国にいる日本人として故国へメッセージを発信、などというつもりもない。そして、当然というべきか、その場にいないのだから情報が不足している。かといって、何も知らないかのように普段通りラトビアでの出来事をポツリポツリと書くというのも、それはそれで変である。あれこれ悩んでいるうち、3月末から4月初めにかけて、全く関係のないことでちょっとバタバタしていた。それらが一段落したところで、震災に関してラトビアでどのような報道がなされたか、ラトビアの人々がどんな反応を示したか、といったことを書いてみようかと思う。
 我が家では幸か不幸か、日本のテレビを見ることはできないので、日本からの報道はインターネットのみで、ケーブルテレビと契約してラトビアのテレビの他、CNNやBBC、またロシアのテレビを主に見ている。よく言われることだが、外国では日本の報道よりも、原発のことを大きく取り上げていたのは、その通りだと思う。それはそうだ、自国に影響があるかもしれないのだから。特に旧ソ連では、25年前のチェルノブイリの記憶がある。原発以外の面では、同じ被災地からのレポートでも、ロシアのテレビの方がCNNなどより実情が伝わってくるような報道ぶりだと感じた。
 ラトビアのマスコミの報道は大半がアメリカなどのニュースの焼き直しだったが、独自のものとしては原発事故の分析などをしていた。また、実をいうと、私のところにラトビアのマスコミからインタビューの申し込みが4・5件ほどあったが、全てお断りした。ラトビア語を話す日本人が何か語れば、ラトビア人に強い印象を与えるものとなったかもしれないが、私とて日本にいないので、多くの情報を持ちあわせていないのは同じことで、印象だけで中身がなかったらしょうがないと思ったからだ。それに、これはすでに経験があるが、収録の場合は先方に都合よく編集されてしまう。しかし、断ったあとで正直なところ、居心地の悪さのようなものを感じ、やはりインタビューを受けるべきだったか、義援金集めに少しは協力できたかなど、少し後悔の念もある。
 ところで、その義援金集めについてだが、ラトビア政府は、国家予算から約1700万円の義援金を送ると決定し、すでに送金されたようだ。が、それよりも、支援のあり方に関して、ある新聞に載った、ラトビア医師会会長が寄稿した記事が目にとまったので読んでみた。要約すると次のとおりである。 震災直後、保健大臣と外務大臣が話し合って、EUの医師団の枠内で医療援助をしよう、ということになっていた。それが、翌週の閣議では、外務大臣がもっと手厚い支援を、と主張して義援金を決定したということらしいが、医療支援をしないのは残念である。ラトビアから医師を派遣して、この災害から学べることは多い(ラトビアはほとんど地震のない国だし、津波も来ないから、放射能等の分野で)。今からでも遅くない。医師の派遣を今一度検討してはどうか…
 これは正論だと思った。この計画が実現すれば一石二鳥で、素晴らしいではないか。私も、外国が今回の日本の経験から学ぶことは非常にたくさんある、大いに学んでくれ、と考えている一人である。もっとも、日本が外国の医師を受け入れるのかどうかという問題の方が厄介であるが…。更に、もっと良いことがあると思う。申し訳ないが、ラトビアが千数百万円、日本に送ってもそれほど注目されるとは思えない。しかし、ラトビアの医師が被災地に駆けつけて感謝され、「私たちはラトビアから来ました」と言う方が、被災地の方々にとっては「ラトビアという国からわざわざ支援に来てくれた!」となるわけである。支援を通じて、ラトビアという国の評判を高めることになるので、あくまで素人の個人的意見だが、単にお金を出すより、このほうがはるかに良い。しかし、このような計画は今のところ進展していないようである。
 また、震災の1週間ほど後であったか、ラトビアの仮設住宅メーカーが日本に売り込みを計画している、と報じられていた。ひとの不幸で金もうけ、などと考えるべきではない。ラトビアはもっと質の高い製品を作って輸出を盛んにしなければやっていけないのだ。大いにこの機会を利用すべきである。
 一方、ラトビア赤十字が行なっている一般からの募金について言えば、200万円近く集まったようである。これも大金とは言えないが、やはり思うことがある。ラトビアは貧富の差が激しいが、大金持ちが寄付したという話を聞かない。でも、私はここの庶民の生活ぶりやメンタリティをよく知っているつもりだが、月3万円程度の年金でかつかつの生活をしているお年寄りなどが、ニュースを見て「日本が大変なことになっている!」と、銀行や郵便局に行って寄付をしている姿が目に浮かぶのだ。実際に見たわけではないが、充分信じられる。周りのラトビア人は、「それしか集まってない訳がない。きっと赤十字以外でもいろいろな所で義援金を集めていて(詐欺行為がないか心配である)、合わせればもっと行くよ。あなたも何か基金でも設立して募金を呼びかけたら、結構集まると思うよ」などと言っていた。私はそういうことはしていないが、知人に赤十字への募金を呼びかけることはした。

 ラトビアとの関連で私が心を打たれたのは次のような話である。
 ラトビアのテレビ局は、日本に特派員など派遣していないので、震災を受けて、報道番組の中で日本在住のラトビア人と電話やスカイプで中継して対話するということをやっていた。それ自体はCNNなどもよくやっていたことである。ある番組では、京都の大学で生物学の研究にいそしむジャガルス氏という若い男性が、自宅でラトビア人の奥さん、幼い娘さんと3人で出演し、日本の状況を伝え、しばらくラトビアに帰国するつもりだなどと話していた。ちなみに、ジャガルス氏の父親は有名な俳優、おじも元々俳優だが、現在はラトビア国立オペラ座の総支配人である。
 その後、外国人が大挙して日本を脱出する中、ジャガルス一家はかなり苦労して航空券を手に入れ(中東のどこかの産油国とイスタンブールを経由してまる2日かかったそうだ)、リーガ空港に到着した模様もテレビで報道された。
 しばらくして、ある週刊誌に、ラトビアに一時避難してきたという日本人のインタビューが載った。それによると、京都の大学でジャガルス氏と一緒に研究している日本人女性(夫は日本人)が、幼い娘さんと二人で、ジャガルス氏の提案で日本を出国し、しばらくラトビアに滞在することになったということだ。ジャガルス一家はラトビア中部のツェースィスという町(以前、このブログで取り上げたことのある歴史ある町)の近郊にセカンド・ハウスを持っていて、そこで2家族5人で休養しているという。雑誌にはこの日本人母子の写真や名前も載っているが、日本に向けてそういった情報を公開することをご本人が望んでいるか分からないので、ここで名前などは記さないでおく。とにかく、ジャガルス氏は、被災地からは遠い京都にいて、単身ならばそのままとどまっていただろうが、小さな子供がいるのでとりあえず一時帰国することにしたと語っていた。そして、研究仲間であり家族ぐるみの付き合いをしているその日本人女性に、やはり小さな子供がいるのだからしばらく一緒に日本を離れよう、とジャガルス氏が説得し、二人はジャガルス一家に1日遅れてラトビアに到着したということだ。インタビューでは当然、ではご主人は、となるわけだが、東京で仕事があるので、という答えであった。記事では、日本人はこういう場合でも持ち場を離れることは「自然なことではない」と考えているとし、ジャガルス氏の見た日本人の国民性などについて書かれていた。ラトビア人から見ると、こういうときにも逃げずにとどまっている日本人の姿は、驚くべきもののようである。私も、周りの人々から「あなたもご両親を呼び寄せたら?」と言われ、一瞬本気で考えたことがある。
 さて、彼らは研究活動を続けるため、1か月ほどしたら、つまり4月後半には再びラトビアを離れ、京都に戻る予定だそうである。彼らの今後の成功を祈るばかりである。

 数日前、ロシアのテレビ・ニュースを見ていたら、日本で桜が満開、と報じていた。久々に震災と関連のない話題で、なんだかほっとする。外国のマスコミの関心はもうリビアやコートジボワールに移っていて、日本関連報道は余震とか、原発で何か進展があった時だけになった。今後は日本に関して、いろいろなことを取り上げていってほしいものだ。そして我々も、日本が魅力的な国となるよう努力しなければならない。