「白いペレーツィス」
1947年6月18日生まれの作曲家、ゲオルクス・ペレーツィス氏は、今日(日本ではもう日付が変わっているが)還暦を迎えた。還暦という特別な概念はないが、だいたい50歳ぐらいから10年ごとの節目を祝う他、25の倍数ということで75歳も重要である。
前回の投稿に書いた、北條さんのCD発売のことを、多くの人に知らせようと思い、18日の昼間、ラトビアの音楽関係者やジャーナリストを中心にメールを打っておいた。もちろんペレーツィス氏にも送ったが、あまりパソコンがお得意ではないようなので、すぐ読んでもらえるか心配でもあった。
夕方になって、ペレーツィス氏に電話をかけようと思い立った。私は相手が誰であるかに関わらず、日本語でも外国語でも、電話をかけるのが極端に苦手で、用件がない限り、親しい人にもまず電話をかけることはない。しかし、最も敬愛する作曲家の還暦である。また、楽譜のことで問い合わせたいことがあったので、勇気を振り絞って(?)電話をかけた。
60歳の誕生日なら大勢の人が集まり、盛大に祝っているのかと思いきや、奥様が「今ちょっと庭に出ています」とおっしゃった。どうも庭弄りにいそしんでいるようだ。すぐご本人にかわってもらい、お祝いの言葉を述べ、用件を済ませた後、ペレーツィス氏が「今夜私のインタビューがラジオで放送されますよ」とおっしゃった。もちろん、そのことは知っている。ラトビア・ラジオ3チャンネルで制作したのだが、本放送は1チャンネルであるそうだ。帰宅してゆっくり聴こうと思っていた。また今月末、リーガから東方約50kmのスィグルダというリゾート地でコンサートがあるので、そのお誘いを受けた。
電話を切ってしばらくたってから、気づいた。北條さんのCDのことを言うの、忘れた!これだから電話は苦手なのである。メモしておけばよいのだが、そのメモを見忘れることがある。同じだ。もう時間も遅いし、すぐラジオ番組が始まるので、また後日、でもそれも忘れそうだ。どうしよう。
ラジオの特別番組は22時15分に始まった。番組名は「白いペレーツィス」という。これは、彼が「コンチェルティーノ・ビアンコ(白い小協奏曲)」という、ピアノの白鍵しか使わない協奏曲を書いたことに因む。また、ペレーツィスは特に珍しい苗字ではないが(作家などにもいた)、普通名詞だと「毛が灰色の動物」という意味があるから、ラトビア人にとってはユーモラスに響くわけである。何度も番組予告で流れていた、「白鍵協奏曲」とともに、聴き慣れた女性の司会者の声でインタビューは始まった。
インタビューの合間に何曲か、ペレーツィスの作品がかかった。実は私も、知らない作品が結構あって、番組中にも2~3曲聴いたことのない曲があった。インタビューは、音楽学者と作曲家の二足のわらじを履くこと(彼のインタビューでは必ず出る質問だ)、彼の作曲スタイルや交友関係、特に世界的バイオリニスト、ギドン・クレーメルとの友情、といったことで、個人的に聞いたことのある話も多いが、彼の話はいつ聞いても含蓄に富んでいて、面白い。「私はお祭りが嫌いで、お祭りも日常的であれば良いと思っています」なるほど、だから晴れの60回目の誕生日も、奥様と自宅で庭仕事、なのである。
私が少し前に出演した「私の音楽」は1時間だが、ペレーツィス特別番組は45分で終わってしまった。もっと色々聴きたかったのに、残念、と思っていたら、最後に何と、司会の女性がこう話し出したのだ。「昨年9月、リーガでリサイタルを開いた日本のピアニスト、北條陽子さんが、そのライブ録音を元にCDを出し、東京の山野楽器という音楽ショップで発売されました。このCDにはペレーツィスの「第4組曲」も収録されていて、棚の上の目立つところに置かれ、試聴もでき、また店内でBGMとして時々かかっているそうです」私はびっくりすると同時に感激した。昼間、私がメールで知らせたことを、そのまま語ってくれたのだ。そして最後に、ペレーツィス氏への何よりの誕生日プレゼントとして、北條さん演奏のペレーツィス「第4組曲」のサワリで番組は締めくくられたのである。
インタビュー自体はもっと前に収録されて編集されていたはずだ。だから、これは私のメールを読んで、最後に付け足してくれたのに間違いない。何と粋な計らいであろうか。ラトビア・ラジオのスタッフの皆さん、ありがとう!
ところで、この番組は、日本にいてもインターネットで聴くことができる。アーカイブに収録されていて当分の間は聴けるはずである。アドレスは下記の通り。
http://www.latvijasradio.lv/program/2007-06/20070618_1.htm
22:15のところをクリックするとストリーミングが始まる。2つあるが、左がReal Player、右がWindows Media Playerである。

2 Comments:
ペレーツィスに関して日本語記事が出るなんて!数年前には考えられない状況です。
「白いコンチェルト」がリリースされた時には「いわゆる前衛的」でないために日本では好意的に迎えられなかったのが残念でした。
リュビーモフが弾くBISの旧ソ連邦のアルバムでは、「桃色吐息」みたいなメロディーに驚いたり、懐かしかったり。
クレーメルのために書かれたneverthelessの息を呑む美しさ!
もっと紹介されて良い作曲家だと思います。
katute様
初めまして、だと思います。
もうこのブログをご覧になっていないかもしれませんね。申し訳ないです。
実は、99年に短期間の旅行でラトビアを訪れた時、ペレーツィスに会ったことについて、その後マイナーな雑誌に記事を書いたことがあります。
97~98年にかけて、日本でCDを通じてペレーツィスの音楽に出会い(それがまさにそのNeverthelessでした)、作曲者に会ってみたい、という希望が実現したわけです。感激でした。
私は今も、ペレーツィスをもっと日本に紹介する機会がないものか、模索しているところです。このブログでしばしば取り上げているピアニスト、北條陽子さんは、日本でペレーツィスの音楽を広めるのに尽力してくださっている方の一人です。実は北條さんは来春、「白いコンチェルト」の演奏をご準備中なのです。詳しいことは改めて報告いたします。
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