イマンツ・カルニンシュ交響曲コンサート
11月17日、独立記念日関連行事として、ラトビア協会大ホールで標記のコンサートが開かれた。カルニンシュという姓の作曲家は少なくとも3人、手元の資料ではさらにもう一人いるらしく、時代が様々であるとはいえ、名前をつけないと紛らわしいことこの上ない。
イマンツ・カルニンシュは、ソ連末期以降政治活動に積極的な人で、国会議員もしているが、その傍らポピュラー・ソングはたくさん書いているので、クラシックに興味のないラトビア人にもよく知られているが、交響曲を書いていることは知らない人も多い。なにしろ、第5番から6番まで、20年以上のブランクがあったのである。6番は不評だったらしいが、それに対して新聞紙上でこの作品を擁護したのが、われらがペレーツィスであった。
日本にいたころ、彼の交響曲第4番のCDを入手して、夢中になって聴いたことがある。CDは2種類出ており、ひとつはラトビア西部のリエパーヤ交響楽団、もうひとつはなんと上海交響楽団である。今や世界のイマンツ・カルニンシュだ。この日のコンサートはリエパーヤ交響楽団がリーガに来て演奏した。リエパーヤという都市は、人口10万人に満たない小さな町なのに、ラトビアで最も古いプロ・オーケストラがあるのだから、すばらしい。
最初に科学アカデミー総裁と、ラトビア協会会長(木曜に会ったばかりだ)のあいさつ、それから全員起立して国歌斉唱があった。
リエパーヤ交響楽団の首席指揮者、レスニス氏が最初にこう告げた。「プログラムの変更があります。交響曲第4番は第1楽章だけでなく、第2楽章も演奏します。それから、プログラムには第5番4楽章、第6番3楽章となっていますが、この2曲の順序を入れ替えます。そして、最後はプログラム通り、交響組曲『風よ、そよげ』よりフィナーレ、となります。」
交響曲1~3番については全く資料がないし、聴く機会もない。習作なのかもしれない。4~6番はCDが出ており、愛聴していた。この日は全楽章演奏したわけではないが、生で聴く貴重な機会である。
第4番は、「ロック・シンフォニー」と名付けられており、ドラムなどが活躍する。第1楽章は同じテーマが繰り返し出てくるのだが、変幻自在で飽きさせない。第2楽章はシロフォンの囁くような旋律で始まり、メロディー・メーカーであるイマンツ・カルニンシュの面目躍如といったところ。
つづく第6番の第3楽章は、軽快ながら高貴さと優雅さを兼ね備えた旋律で始まり、その後次々と繰り出される印象的な旋律が聴衆をひきつけてやまない。後半に出てくるフレーズはただもうカッコいいとしか言いようがないのだが、その中に少しだけ、沖縄音楽風の旋律が登場する(ような気がする)。そのせいか、めっきり寒くなったこの11月の北国で、熱帯地方の陽光を感じたのは、まあ私一人の錯覚だろうが、ともかくそういう印象を受けた。この日のプログラムで最も良い作品だと思ったし、演奏もメリハリがきいていて、よかった。なお、他の楽章には合唱があり、インドの詩人タゴールの詩が使われている。この曲が初演時不評だった理由については、批評を読んでいないので知らないが、1時間を超える大作で、全体の構成にまとまりがないと思われたからかもしれない。この3楽章を聴いた後外に出たら、菜の花畑で口笛を吹いて小躍りしたくなる。これだけでなく、イマンツ・カルニンシュの作品は、どれも基本的に人生賛歌といってよかろう。
コンサートをしめくくったのは、有名な民謡「風よ、そよげ」と同名の映画のための音楽である。組曲の最初から最後までこの民謡の旋律が出てくるが、フィナーレではなんとエレキギターがこれを奏でる。ただ、演奏が今一つであった。
全体として、何人かの管楽器奏者に少々技術的なミスが見られたものの、レスニス氏の的確な棒さばきの下、雄渾でダイナミックな演奏をきかせてくれた。他の聴衆も満足していたようで、拍手が鳴りやまなかったが、残念ながらアンコールはなかった。独立記念行事なので仕方ないだろう。
その後階下のロビーで、歴史学専攻の友人とその彼女と会い、カフェで長時間、日本とラトビアの歴史や文化について語り合った。なかなか有意義な土曜日であった。
イマンツ・カルニンシュという作曲家も、日本に紹介される機会があっていい。

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