ニューヨークの雑誌に記事掲載
以前、ラトビアの東洋学者・バルト学者ペーテリス・シュミッツのことを書いたが、彼と日本語学者スパルウィンの二人について短くまとめた私の記事が、ラトビアの学生連合機関紙「ウニウェルシタス」に掲載された。実は1年以上前から依頼があったのだが、わずか2ページほどの記事にも拘らず、ずっと先延ばしにしてしまっていたのである。
日本ではスパルウィンというと、日露・日ソ交流史を研究している人々の間では知られていて、東京外語でロシア語を教えるなど(同僚に二葉亭四迷がいた)日本に長く住み、またウラジオストクの極東大学東洋学科設立に参加するなど活躍したが、実はラトビア人なのである。ソ連時代はソ連市民として、日本ではソ連の外交官として活動した(当然、ソ連共産党員であっただろう)から、現在のラトビアではまったく忘れられているというか、黙殺されている。
以前から二人のことは気になっていたのだが、一昨年から去年にかけての冬に日本で偶然読んだ資料がきっかけで、ロシアでの彼らにどういう接点があったのか少し分かったので、ちょっとしたものをまとめてリーガでのある会合で発表したのが、そこに参加していた編集者の関心を引いたというわけである。
この雑誌は1930年創刊であるが、ソ連時代は西ドイツに亡命して刊行されていた由緒ある機関紙で、編集長はラトビアにいるが、編集部は現在もニューヨークにある。スパルウィンの政治的立場から、こういう雑誌に載せていいような内容なのかと思ったが、編集部には好評だったので、喜んで寄稿した。発行部数は3千部ほどで、ラトビアに割り当てられる部数が少なく、私も1部しかもらっていないという状況なのだが、全世界の亡命ラトビア人を中心に読まれているという。誠に光栄なことである。

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