ラトビア便り

ラトビア在住の日本人男性が、この国の文化を紹介。音楽情報などを通じてその魅力を探っていきます。

2010年8月18日

世界の童話とペレーツィス

 7月にペレーツィス氏と偶然中心部でお会いしたとき、8月に童話の朗読とピアノによる演奏会があるというお話をうかがった。しかもそれは、「童話を思い出しながら―ペレーツィスの音楽の中のラトビア、ロシア、ドイツ、デンマーク、そして東洋の童話の登場人物」と銘打ったもので、非常に興味をそそられた。
 会場はわれわれにはおなじみのリーガ・ラトビア人協会。しかし、日時を後日新聞で確認したら8月10日で、ちょうど母がいるときだったので連れて行ったら、守衛さんが「今日は演奏会はありませんよ」というので外のチラシを見たら、1週間後の17日となっていた。新聞が日付を間違えて告知したのである。私は前にもそういう「被害」にあったことがあるが、それも同じ新聞で、しかもペレーツィス作品の演奏会であった。
 気を取り直して17日、会場に足を運んでみると、今度はちゃんと演奏会の準備をしていた。ペレーツィス氏も来ていたので挨拶をした。本当のことを言えば、童話をモチーフにした(そもそも、今までに聴いたペレーツィス作品の中に標題音楽なんてあっただろうか、と考えてしまった)音楽なのだから、子供向けに書かれたのではないかと思ってしまったのである。しかし演奏が始まるとそれは間違いであることがすぐにわかった。ペレーツィスの音楽は、子供にもわかるし、大人にも十分堪能できるものであることが、このような作品からもうかがえたのである。
 もうひとつは、童話を朗読しながら音楽を演奏するのではないかと思っていたのだが、そうではなかった。
 語り手の女優がまず、ラトビア民話の概要について語り、それからピアノ連弾での演奏が始まる。連弾はビークスネという姓の男女のデュオ(姓が同じなので夫婦かもしれない)で、知らなかったが非常に優れた演奏であった。この作品ではまず、ラトビア民話の10の登場人物が題名となっている小品を、それぞれ語り手の女優が「次は~です」といった後に演奏したのだが、7曲目の「スプリーディーティス」(小人の探検の物語)は、結構長いお話を語った後で演奏した。
 次はロシア民話である。やはり10の登場人物をモチーフとした小品集で、語り手はいくつかの曲の合間だけその民話を朗読した。
 休憩を挟んで第2部は、グリム童話から始まった。1曲目は「赤頭巾ちゃん」だったが、これがペレーツィスの手にかかるとどんな音楽になるか、想像がつくだろうか。これが実に楽しい作品なのである。グリム童話も10の登場人物をモチーフにして語りとピアノ演奏が変わりばんこに行なわれた。
 お次はは東洋の民話と題していて、ひょっとして中国や日本も含まれるのか、と思っていたが、これは全て「アリババと40人の盗賊」の7つのモチーフに沿って書かれた音楽なのであった。最初の曲で少しだけアラブっぽい音階(和声的短音階、っていうんでしたっけ)が使われたが、もう完全にペレーツィスの世界であった。最後がデンマーク、といえばもちろんアンデルセンとなるわけで、雪の女王をモチーフとした1曲であった。
 1曲1曲は非常に短かったが、語りも入っていたので2時間以上かかった。非常に充実した内容とメリハリの利いたよい演奏であった。終演後、ペレーツィス氏に挨拶しに行ったら、あの冷静沈着なペレーツィス氏が、感極まって泣いていたのには少し驚いた。
 この日はラトビア・ラジオが取材に来ていて、演奏会を録音していたので、放送される可能性もある。そうなれば日本でもインターネットで聴けるので、改めてご紹介したい。

2010年8月14日

母、来たる

 このブログを2か月間ほったらかしにしているうちに、ラトビアではもう暑い夏が終わってしまったようである。
 確か7月末のことだったと思うが、西部のベンツピルスでは34.8度を記録した。日本と比べたらどうということはないかもしれないが、この北国においては各地で次々と観測史上最高を記録していた。連日、95年ぶり、いや百年以上ぶりの暑さだ、などと報道されていたのである。最近では、8月15日(日)には短時間、激しい雷雨に見舞われ、その後はカラッと晴れて再び暑くなったのだが、18日は涼しい。暑い夏の好きなここの人々は、もう嬉しくてしょうがないので羽目を外して遊んでしまい、日射病や日焼けのし過ぎ(のことを何ていうんでしたっけ?)、水の事故が多発した。しかしこの記録的な、現地の人々を苦しめつつも喜ばせた暑い夏も、ついに終りか、という雰囲気である。
 2ヶ月ぶりなのでその間の出来事を少し書いてみよう。7月なかばのある日、昼食時に中心部を歩いていたら、作曲家のペレーツィス氏とゼムザリス氏に、約30分おきに立て続けに会った。まったくの偶然で、面白いことである。ペレーツィス氏からは近々の演奏会日程のことを聞いたので、改めて書くとしよう。

 さて、やっと本題である。私の今までの長いラトビア生活で、親類が来たことは一度もなかったのだが、8月前半、ついに母がやってきた。両親が来ることを期待していたのだが、父は仕事の都合で来られなくなってしまったのである。生まれて初めての海外なので、どこに案内しようかといろいろ考えたが、結局普通にリーガ旧市街とアール・ヌーボー建築を見て回り、ユールマラの海岸を散策したぐらいであった。
 美術展はいくつか足を運んだ。リーガ・アート・スペースでは1950~90年のラトビア絵画展をやっていて話題になっていたので、連れて行った。これはちょうどソ連時代である。今となっては、半ば忘れ去られた感のあったこの時代の美術に、光を当てたということになろう。迷路のような展示スペースに非常に多くの絵画が展示されていた。なかなか充実していたが見るのは疲れた。