Buto(舞踏)のその後(1)
ラトビアにも日本の舞踏(暗黒舞踏)に魅せられ、自らパフォーマンスを行い、熱心にその研究や普及に尽力している人々がいることは、今年の6月、途中まで書いたが(本当は公演の模様を書かないといけないのだが…すみません)、その後の動きを書いてみようと思う。
10月28日、舞踏家の一人であるスィモナ嬢から電話があり、ラトビア公共テレビのインタビューがあるという連絡があった。インタビューは6月に公演が行われた「デザイン工場」というところで、30日の正午からだというので、「僕もあいているから行こうか」といったら、非常に喜んでいた。平日の昼間なので、ダメで元々、ぐらいの気持ちで電話をかけてきたらしい。上演が行われたのと同じ場所で、というのは気が利いていてよい。
寒い上に雨の降りしきる天気が続き、どうも外出は気が進まないのだが、会場に着いてみると、何とも懐かしい気がするから不思議である。とはいえ、22時を過ぎても明るかった夏の晩、カーテンで内部を真っ暗にしての舞踏パフォーマンスと、秋の昼間ながら陰鬱な小雨の降る中でのテレビインタビューとでは、まったく雰囲気が違う。インタビューを見に行くぐらいの気持ちでいたら(その割にはちゃんとスーツを着て行ったのだが)、車座に8つ椅子が置かれ、司会の男性とスィモナ嬢、スタッフの面々が座っていた。椅子が一つ空いていた。嫌な予感がする。どうやら私の席らしい。
座談会形式を想定していたのかもしれないが、実際には司会の男性が個別にインタビューすることになり、スィモナ嬢を中心に、舞踏について話が進んでいった。私には、予想はできていたが舞踏が日本でどれほどの人気があるか、という質問があったので、正直なところ大衆的な人気はない、私もラトビアでこういう企画に携わる(というほどのことはしていないのだが)まで知らなかった、と率直に語った。番組の名前は「プロジェクト・人間」といい、放送は11月23日の午後11時で、11月末に舞踏の講演やマスタークラスなどがある、という話があった。しかし、我が家のテレビではなぜかこのチャンネルが映らないというお粗末な理由で、見られなかった。ラジオと違って、インターネットでも見られないので残念である。