11月11日は、1919年のこの日、ラトビア軍がリーガを解放した記念日である。「ラーチプレースィス」とは、ラトビアの民衆の間に語り継がれた伝説の英雄で、クマ退治で名を馳せたため「クマを引き裂く者」(直訳)という意味があり、伝説をもとにした同名の長編詩が19世紀末に発表された。さて、ラトビア独立に貢献した、勇敢な兵士たちを称えてこういう名がついたのだが、ラーチプレースィスに直接関連のある日ではない(実在の人物ではないから当然だが)。ラトビア人でも何の日か知らない人が多いと、新聞で読んだことがある。ラトビアのような国でも、歴史は風化するのだ。国民の祝日ではないが、戦争で犠牲になった兵士たちを弔う行事が多く催される。特に、大統領官邸のある、リーガ城のダウガワ河岸に面した城壁には、ろうそくをたむける人々が多く集まる。
なお、その1週間後の11月18日は独立記念日で、こちらは国民の祝日だが、これは前年の1918年、独立宣言が出された日である。つまり独立宣言が出た後も、内戦が続いており、翌1919年にようやく首都リーガが解放され、1920年に内戦が完全終結したのである。余談だがこれまでラトビアには振替休日を定める法律がなく、祝日が日曜でも次の月曜は平日だったが、今回の独立記念日は日曜で、初めて翌日が振替休日となる。日付としてはラーチプレースィスの日と1週間違いなので、この期間は中心部の一部の区画にずっと国旗が掲げられたままになっており、愛国心を鼓舞する期間と位置づけられている。
リーガ市が主催する行事予定表を見ていたら、コンサートが2つあり、両方行ってみることにした。
18時から聖ヨハネ教会で、バルト三国の作曲家による宗教音楽演奏会。演奏は、混声合唱団「アベ・ソル」。1970年代から何度も来日している団体である。当時はイマンツ・コカルス氏が指揮者で、現在はその子息のウルディス・コカルス氏が振っている。ラトビアの指揮者は世襲制、というわけではないが、こういうことは時々ある。 この日の演奏会は、彼が音楽監督で、指揮はリトワニアの人であった。
はじめにラトビアの作曲家、プラキディス、ケニンシュ、アーベレ、イマンツ・カルニンシュの作品。その後詩の朗読が入り、世界的に有名なアルボ・ペルト(エストニア)の「マグニフィカト」、若手のホープ、ウルマス・シサスク(エストニア)の「アベ・マリア」と続いた。また詩の朗読があり、リトワニアの作曲家の作品に入るが、私にとって印象深かったのは、1972年生まれという若手G.スビライティスの作品であった。ペレーツィスのような、極めて保守的でありながら現代の光を放つ作風。気になる存在だ。そしてまた詩の朗読が入り、同じリトワニアのアウグスティナスという人の作品が演奏されたが、あまり印象に残らなかった。ともかく、非常に重厚なプログラムである。終了後、客席で聴いていたこの合唱団の先代指揮者イマンツ・コカルス氏に会った。とても気さくなおじいさんで、街で偶然会っても楽しくおしゃべりするのだが、ラトビア人にとってはものすごく偉い、人間国宝のような方である。「きょうはとても重いプログラムでしたな。演奏者にとってはこれは大変ですよ、とても」と感慨深げに話していた。
ヨハネ教会から外に出ると、友人たちに出くわした。その一人、若手詩人のマーリス・G君は、しこたま酔っていた。私より若いのにぼうぼうにヒゲを生やし、瘋癲行者のようないでたちである。40代後半にしか見えない。酒癖が悪いので嫌な予感がしたが、道行く人々に向かって、なぜか英語で「フリーダム!」とさけんでいた。「はぁ」などと相手が言うと「何がはぁ、だ!はぁ、じゃねえだろ」と怒り出す。悪いのはお前だよ。
とはいえ、リーガ解放記念日である。このマーリス・G君は、1991年1月、ラトビア独立を阻止しようとするソ連の特殊部隊が突入した時、大聖堂広場に人々が集まりバリケードを築いて防戦した、いわゆるバリケード事件に参加したことを誇りにしているのだ。しかし酒癖が悪いので、散歩している人々に向かってバリケード事件のことを語りかけている、つもりなのだろうが、からんでいようにしか見えない。
細い道を通り、ダウガワ河に面したリーガ城の城壁へ向かう途中、映像関係の仕事をしている友人と、その彼女に出会った。既に大勢の人々がろうそくを持って集まっていた。それで最初に会ったマーリス・G君らとははぐれてしまい、8時を回っていたので英国国教会に向かうことにした。といってもすぐ近くである。ここでは8時半から、ラトビア民族音楽コンサートが予定されている。
演奏者は、民族音楽学者として有名なV.ムクトゥパーベルス氏と、奥さん(リトワニア人の歌手でフォークロア研究者)、娘さんと仲間たちである。詩人のP.ブルーベリス氏が朗読することになっていたが、病気のためなしになった。とても残念である。コンサートは予定通り行われた。
民族音楽というのは、一人でさまざまな楽器をかけもち、歌も歌う。このコンサートはムクトゥパーベルス氏が編曲した作品がいくつか入っており、伴奏に教会のオルガンやチェロが入ったのもあって、なかなか面白い。ムクトゥパーベルス氏が奥さんと二人で重唱した曲は、聴いている不思議な声が混じっており、ホーミー(モンゴル系民族の間で歌い継がれている、肋骨を共鳴させ倍音を響かせる特殊な歌唱法)だと気づいた。ラトビア人は、このような歌唱法は知らなかったはずである。こういうものを取り入れてしまうなんて、なかなかのアイディアである。ちなみにラトビアには、ホーミーを歌うモンゴル系トゥバ人のグループが何度か公演や、公開レッスン(?)のために何度か来ており、私も行ったことがある。