ラトビア便り

ラトビア在住の日本人男性が、この国の文化を紹介。音楽情報などを通じてその魅力を探っていきます。

2007年4月29日

詩人の誕生日

 先週、例の如く15番トロリーバスに乗って帰宅する途中、友人のJ嬢に声をかけられた。詩人のP. ブルーベリスが50歳の誕生日だから、お祝いに行こうというのである。中央駅の売店で花を買い、電車に乗り換えた。
 しかし、我々の向かう先は彼の自宅とは全く違う。すぐ分かったが、作家連盟の所有する宿に泊まり込み、仕事をしていたのである。我々が到着した時には夜10時を回っていた。
 50歳の誕生日なら、さぞかし大勢人が集まって、にぎやかにお祝いしているのだろうと思ったが、ブルーベリスの娘と、若手詩人(男)がいるだけで、ご本人はもうベッドに横になっていた。我々ふたりはお祝いの言葉を述べ、花を渡し、ワインを飲んでおしゃべりしていた。
 私は翌朝リーガで用事があるので、ひとりで寝てしまい、起きて、始発電車で帰ったのだが、男二人が見送りにつきあってくれた。ブルーべリス氏は、50歳のお祝いなんて、年取ったような気がして嫌なのだという。「劇場などから招待状をたくさんもらったが、どれにも行かないでここで仕事をしていたんだよ。何だかマゾヒストだよな、ハハハ」
...やはり詩人や芸術家というのは、どこか変わっている。

文字コードのテスト

このブログを立ち上げた頃、うまく開けない、または読めないという抗議が連日殺到、という程ではないが、あったので、一応解決したのだが、今回もう一度テストしてみたいと思う。 もしまたうまく開けないような場合、エンコードをUnicode にしていただきたい。そうすると、この投稿だけが読めなくなる可能性がある。その場合はこの投稿を削除する。ご面倒をおかけしますが、よろしくお願いします。

2007年4月27日

日本旅行報告会

 1週間ほど前、知り合いの女性が日本旅行から帰ってきて、その報告会を催すというので、行ってみた。本人は多くを語らないが、彼女は数年前にミス・リーガに輝いたという噂がある。おそらく本当だろう。だから(?)大勢人が来ていた。
 パソコンとプロジェクターを使って壁に写真や短いビデオを映し、彼女のお兄さんが説明した。彼らが日本に行ったのは、 さらに上のお兄さん(ほかに、日本には行かなかったが妹もいる。やたら兄弟が多い)が日本女性と結婚し、その結婚式に呼ばれたというわけだ。その奥さんは群馬県前橋市の、なかなか立派な旧家という感じの家のお嬢さんである。だから両親も同行しての家族旅行だ。
とはいえ、この兄妹はモンゴルやチベットにも行ったことのある[冒険家]だ。結婚式の他、一家は南アルプスの冬山登山を敢行、そして京都や広島にも行った。
 彼らの話を聞くと、新婦のご家族からいろいろ話を聞いたのだろう(英語でのコミュニケーションにはかなり苦労したようだが)、なかなか的確なもので、外国人にありがちな勘違いや幻想(?)というものはなかった。それでも彼らの日本に対する評価は、都会の喧騒に辟易したことを除けば、かなり肯定的なものだった。
 ともかく、多くの人が日本を訪れて、見聞を広めるのはよいことだと思う。

2007年4月19日

15番トロリーバス

 たまには、身近に起きた出来事でも書くことにしようか。
 私は週に何回か、夕方用事があって15番トロリーバスで中央駅の裏の、治安が悪いと言われる地区に出かける。しかも家路を急ぐ人々で大混雑である。スリなどに気を付けないといけない。
 余談だがトロリーバスというのは、架線から電気を取り入れて走るバスのことで、日本ではなじみがない。たしか、全国で1系統のみ、それも立山・黒部アルペンルートに、全線トンネル内を走るバス路線があり、排ガスを出さないため架線を引いてトロリーバスを走らせていると聞いたことがある。ここリーガでは20以上の系統があり、市民の重要な足となっている。
 先日、いつものように15番トロリーバスに乗り込んだ。おばあさんが乗ってきたので、席を譲り、少し右へ移動した。すると、その向かいに座っていた別のおばあさんが、「カバンをここに乗せなさい」といって、私のカバンを膝に乗せてくれたのである。
 こちらでは公共交通機関に乗っていると、人々の態度は概して素っ気ない。日本とどちらがマナーが良いか、比較は難しいが、日本よりやや悪い反面、それを注意する人も日本より多く見かけるような気がする。老人等に席を譲る人もいれば、譲らないで平気で座っている人もいて、日本とそう変わらない。
 だから、こんな親切な人がいるのに少々驚いた。私がそのときカバンにたくさん書類や資料を入れていて、その上リュックサックもしょっていたから、大変そうに見えたのだろうか。それでも滅多にあることではない。
 とはいえ、外国生活では「人を見たら泥棒と思え」である。ましてや15番トロリーバスである。そのおばあさんとは少しお喋りなどしつつも警戒していた。もっとも車内は混んでいて、さっとカバンをひっつかんで逃げることなど不可能なのだが。やがて目的地に着いたので、礼を言って降りた。もちろん、何も盗られていなかった。

2007年4月14日

ラジオに出演

 長年の夢がかなった、というと大げさだが、ラトビア・ラジオ第3放送(クラシック・ジャズ・民族音楽)の「私の音楽」という番組に出演することになり、木曜日の晩、収録を行なった。
 この番組は、プロの音楽家だけでなく、各界の著名人が出演して、自分の好きな音楽について語り、またその音楽をかけて鑑賞するというものである。私が聴いた中では、外務大臣が出たこともあるし、大統領が出たこともあったのではないかと思う。そんな番組に出てしまうのだから、名誉とか光栄とか言うよりも、身の程知らずとか蛮勇というほうがふさわしい。
 司会を務めたサンドラさんは、昨年9月にピアニスト北條陽子さんが来たとき、リサイタル前にインタビューをしたのが縁で、出演交渉を進め(というほどのものでもないが)実現にこぎつけたわけである。インタビューのとき私は通訳だったが、サンドラさんが通訳の人にも何か語ってもらおう、というので、私は今回通訳だから、自分のことを語るのは別の機会にしましょうと言っておいた。要するにこちらから出させてくれと暗に意思表示したわけなのだ。
 番組は1時間、トークと音楽を半々で、が目安である。我々は2時間もおしゃべりしてしまったので、4分の3はカットされることになる。かける音楽については、私が20枚以上もCDを持ち込んだので、さすがにサンドラさんは唖然としていたが、私からの要望を詳しく伝えておいたので、プロの手でうまく選曲して編集してくれることだろう。
 約2週間後、放送の予定である。

2007年4月6日

初心に帰る

 2週間ほど前のことだが、音楽ショップや書店を数件回った。ムシカ・バルティカという楽譜屋さんで面白いものを見つけた。ラトビアの作曲家の主要な作品を、その断片ばかり並べた楽譜で、2枚組CDもついている。130曲以上もある。
 楽譜を広げておたまじゃくしを追いかけながら、CDを聴いてみると、正直、懐かしさがこみ上げてきた。日本にいた頃、通販などでラトビア音楽のCDを集めて聴いていたのを思い出す。しかし、このようにして集めたのを聴いていると、基本に立ち返ることが出来るものだと思う。知っている曲も知らない曲もある。自分の知識を整理できるのである。私は専門家ではないから、このようにして改めて確認できるのはよいことだと痛感した。また、楽譜屋さんでは合唱音楽の同様のCDをくれた。太っ腹というのか、ありがたいことである。これも聴いたとき、やはり同じことを感じた。
 しかし、専門分野(だと自分が思っていること)でも同じだということを、まもなく痛感した。数日後、部屋を整理していて、ラトビア語の教科書を久しぶりに手にとって眺める機会があった。ドイツで出た『ラトビア語集中講座』である。これは、ラトビア語の初級教科書としては最も良いものだが、ドイツ語で書かれているので、日本人にはあまりお薦めできないのが残念である。本書も日本にいた頃手に入れて、ドイツ語の説明を、辞書と首っ引きで読んでいたのだ。たくさん書き込みがしてある。既に文法は一通り習得していたから、その知識をフォローするつもりで読んでいたのだが、今読んでも、完全に咀嚼していないことが色々あるのを発見した。恥ずかしいことである。また、ラトビアの文化事情を一通り知ることが出来るようなテキストが選ばれている。その点でも優れた本である。

フクロウ民族オーケストラ

 前回、記録的な暖かさだと書いたが、今度は寒い。今日(4月6日)から9日までイースター休暇なのだが、どうも春が来たという実感がわかなくなってしまった。
 さて昨日は、表題のような名前のグループによるコンサート「この国で、あの国で」が大ギルドで行われたので、行ってみた。なお、たびたび記している小ギルドと、この大ギルドは向かい合わせに位置しているが、まったく違うホールである。
 なぜ「フクロウ」というかというと、このグループを率いる作曲家の姓プーツェが、普通名詞だと「フクロウ」を意味するからである。また、今回のコンサートの名称(同名のCDも出ている)はラトビア語で「シャイゼメー、タイゼメー」というのだが、「タイゼメー」は「タイ(東南アジアの)国で」と偶然一致するので、響きが面白いというわけである。ただ、タイの音楽を取り入れているわけではない。ラトビアの音楽をベースに、現代風にアレンジしたものである。
 ボーカルは女性二人、一人はバイオリンも弾き、もう一人は時々打楽器も担当する。歌唱法は民謡を歌うときの声を張り上げる感じの(うまく表現できなくてすみません)歌い方のまま。しかし、そこにエレキベース、アンプをつけたフォーク・ギター、キーボード。これではロック・バンドである。フクロウ師匠は主にキーボードを担当。しかも、そこにオーボエが加わっている。担当は独立系室内オーケストラの指揮者としても活躍するノルムンツ・シュネー氏である。
 このような編成で、一体民族音楽をどうアレンジするのだろうか。それはもう聴いてみるしかないのだが、フクロウことプーツェ氏の魔術としか言いようがない。これらの楽器、一癖も二癖もある個性派揃いのメンバーが、何の違和感もなく溶け合っている。休憩を入れず2時間近くに及んだが、時間は瞬く間に過ぎた。巨匠プーツェ氏のトークも面白く、プログラム進行も見事。そして客席の雰囲気のよさ。ラトビア人がこういう音楽を心から楽しんでいる様子が伺われ、イースター前の晩のひと時を心ゆくまで堪能したのであった。