ラトビア便り

ラトビア在住の日本人男性が、この国の文化を紹介。音楽情報などを通じてその魅力を探っていきます。

2008年3月25日

アマゾンで北條陽子さんのCD購入可能

 昨年、ピアニスト北條陽子さんのリーガ・リサイタルのライブ録音がCDとなって発売されたが、既にここで報告した通り、銀座の山野楽器だけで販売されているものと思い込んでいた。ところが、インターネット通販の大手、アマゾンでも購入可能であることを、先日偶然知った。アドレスは下記の通り。
http://www.amazon.co.jp/ラトヴィアの印象から~北條陽子ピアノリサイタル・イン・リーガ-北條陽子/dp/B000VAI128/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=music&qid=1206470325&sr=8-1
在庫は1点しかないとのことであるが、販売促進のために、カスタマーレビューを書いた方がいいのだろうか。私はそういうものを書いたことがないので、考えているところである。

2008年3月11日

リエパーヤ

 3月10日、西部のリエパーヤという港町に行ってきた。ソ連時代は軍港があり、外国人は訪問できなかった。帝政ロシア時代には、バルチック艦隊がここから日本に向かって出航したことは、戦史好きの人なら知っているかもしれない。それより以前、ここを視察した日本人もいるのだが、それについては別の機会に取り上げたい。
 前日は西部の別の町にいたので、早朝そこからバスでやってきた。目的は2つあり、ある教会のオルガンを見ることと、教育学アカデミーという大学で本を探すことだった。
 アンケートによれば、ラトビアを訪れる外国人観光客(といってもリトワニア人やエストニア人が多いのだが)の約7割がリーガを訪れ、リエパーヤを訪れるのは7%ぐらいだったと思う。リーガからの列車は1日たった1往復だが、駅前にはバスターミナルがあり(駅がバス待合室や切符売り場を兼ねている)、バスの便は頻繁にある。南北に細長いので路面電車が1系統通っており、その他バスが何系統かある。駅から町に出るには徒歩でもよいが、路面電車を使うと楽だ。はっきり言ってこの区域は美しい町並みとはいえない。そういうわけで、観光資源が豊富だ、とはお世辞にもいえないこの町は、以前このブログで書いたが、音楽が盛んであり、人口9万人程でありながらプロオーケストラを持ち、たびたび国際ピアノフェスティバルや、ジャズ・フェスティバルなど、音楽祭を開催しているのはすばらしいことだと思う。
 そしてこのオルガンである。いくつか他の教会を回った後、件の教会にやって来た。付近は人も交通量も多い。立派なオルガンがあるといっても、教会は老朽化が進んでみすぼらしい姿をさらしており、痛々しい。とても観光名所にはならない。100年前は世界最大だったというオルガンが、こんなところにあるなんて、知らなければ想像もできないだろう。しかも月曜の午前ということで、閉まっていた。
 事務所に立ち寄ってきいてみると、オルガンを見せてくれるとのことで、管理をしている中年男性がカギを開けて教会の中に入れてくれ、その上鍵盤を見せてもらった。素人くさい書き方だが、オルガンというのは専門知識がないと何もわからない。鍵盤が何段もあり、周囲にペダルのようなものが所狭しと並んでいる。事務所に戻って少し話をしたが、オルガンは礼拝でも頻繁に使われるし、演奏会もたびたび行われているという。聴く機会がないのが残念だ。オルガンが現役なのにはホッとしたが、教会もどこからか予算がついて修復できれば良いのに、と願わずにはいられない。
 その後、教育学アカデミーへ向かった。ある研究室に立ち寄り、探していた本の他、同じ著者の別の本をいただいてしまった。さらに、いろいろ話をしていたら、探していたもう1冊の本もまだあることが分かり、これも購入した。職員が二人いたが、一人は私のことを覚えていた。ここを訪れたのは5年前なので、私の方が驚いた。
 まだ少し時間があったので、聖アンナ教会というところも訪れた。ここはさほど老朽化しておらず、良い感じであった。慌しい訪問ではあったが、久しぶりのリエパーヤ訪問を果たすことができて良かった。

2008年3月1日

バルト三国+ロシア書籍見本市

 2月28日(木)から3月2日(日)まで、ダウガワ河を向こう岸に渡ってすぐの国際展示場で、書籍見本市が開かれている。金曜日は丸一日用事が入っていたので、木曜日と土曜日に行ってきた。
 今回は、バルト三国からの出店があるほか、ロシアの書店・出版社もゲストとして出店するということで、新聞などでもずいぶん取り上げられていた。ロシアがゲストという扱いなのは、まだラトビア・ロシア関係が複雑であることをうかがわせるが、政治や外交の世界では、最近両国関係はかなり進展している。まあなんといっても、ラトビアではロシアの本の需要が非常に高い(ロシア人だけでなく、ラトビア人も読む)ことがあるのだろう。また、同じ建物内で大学進学フェアが開かれており、中等学校の生徒が大勢集まってにぎわっていた。
 木曜日はまだ客足がそれほどでもなく、落ち着いて買い物ができた。期間中は様々なイベントが行われるので、すいているうちにめぼしい本を買ってしまおうというわけである。といっても普段書店で目にすることのない掘り出し物がわんさか、というわけではないのだが、とにかく安いのである。私の場合は「安物買いの銭失い」だが…
 こちらの書籍流通は、日本の再販制度のようなものがないため、新刊書でも書店によって値段が違い、売り切れてしまうと全く入手不可能になる。日本人にとっては驚きである。出版社の中には自前の書店を持っているところとそうでないところがあり、前者はたいてい自社の本を他店より安く売っている。日本でいろいろ議論を巻き起こしている○ックオ○のようないわゆる「新古書店」もないので、いい本は見つけたらすぐ買う、という習慣はソ連時代とあまり変わらない。一方、当分出回っていそうな本は、こういうイベントで安く買うまで待つ、ということになる。見本市では店を持っていない出版社も出店していて、こういう出版社は特に安く買うチャンスである。
 編集者、作家、古書籍商、また会場でバイトしている文学部の学生など、知り合いを多く見かけたので、会話を楽しんだ。中にはずいぶん久しぶりの人もいたので、こういうイベントに顔を出すのはいいものだ。
 私としてはバルト三国の他の国、エストニアやリトワニアからの出店も楽しみで、普段は現地に行かないと買えない本がどれだけあるかと期待していたが、各国1~2つのブースがあるだけで、しかも展示するだけで売れません、といわれてしまった本もあり残念であった(話がそれるが、ラトビアでは地方間の書籍流通もないに等しいので、リーガですら地方出版物が買えない。何とかしてもらいたいものだ)。リトワニアの本は、ブースにいたリトワニア人の女性がどこかに電話して問い合わせていたが、結局どれも買えなかった。ロシア書のブースも似たようなものだったが、そちらは人によって言うことが違い、最初に声をかけた人に「その本はお売りできないんですよ」と言われても、あきらめずに別の人に訊くと、「ああ、それはいくらいくらです」と言われ、買うことができた。どうやら、担当者が来ている出版社の本が買えるが、担当者のいない出版社の本は買えない、ということのようであった。こういう妙なことはこちらではしばしばある。その他どうしても欲しい本があり、今回のロシアからの出店の総元締め(?)の男性に訊いたら「少々お待ちください」と言われたが、彼はその後シンポジウムなどに出ずっぱりで、それっきりになってしまった。
 ドイツなどで開かれる同様のイベントに比べたら、はるかに小規模でどうということはないかもしれないが、それでも私がいる間だけでも、この国の文化大臣や、ロシアから着任したばかりの大使が視察に訪れ、ウクライナの大使も(おそらく個人的に)見に来ていた。話は変わるが、このウクライナ大使はきわめてユニークな人物である。まず、父親がグルジア人、母親がウクライナ人のハーフであり、スラブ人らしからぬ風貌と姓を持っている。そして、詩人であり、グルジア語とウクライナ語で詩を書き、翻訳もしている。ラトビア語からの翻訳もしている(話すのは苦手だと言っていた)。たびたび文学関係のイベントに現れるので、何度か見かけ、話を聞いたことはあるが、昨年12月に初めて話す機会があった。
 木曜日は本の購入が中心だったが、土曜日はイベントを楽しむことにいた。地方都市から友人がやってきたので一緒に見に行った。まず、エストニア書籍のブースで民話集と、エストニア東部、ロシア国境地帯の、特異な文化的背景を持つペッツェリ地方のアルバムを買った。それにしてもエストニアは本が高い。値段をきいて「やっぱりやめます」とも言えず、買ってしまった。それからロシア書のブースに行って、元締めの男性を捕まえたら、彼のほうから話しかけてきた。「ああ、ずっと探してたのですよ」「どうもすみません。木曜は用があってあの後すぐ帰ってしまい、金曜は来られなかったもので」「それであの本なんですが、あれ1部しかなくて、しかも文化大臣にプレゼントしてしまいました」やれやれ、である。
 近くではロシアの出版や文学関係のシンポジウムが開かれており、ロシアの売れっ子の作家が何人も来ていた。リーガ出身の作家、アレクサンドル・ゲニスがいたので、シンポジウムが終わった後話しかけてみた。彼は何度も日本を訪れているし、日本でも紹介されているので、知っている人も多いだろう。私もこういうときはミーハーになってしまう。ゲニスの本は既に持っているので、持って行ってサインしてもらえばよかったと後悔した。
 会場内にイベントを開ける場所がいくつか設けられており、同時に数ヶ所で何かやっていたり、プログラムと全然違う時間にやっていたりするのでうろうろ歩きまわっていろいろ「つまみ食い」したが、会場の一番奥でやっていた二つのコンサートが特に面白かった。
 スウェーデンで亡命生活を送り、現在はラトビアと行ったり来たりして活動している、クロンベルクスという詩人・訳詩家の本のプレゼンは、この日のために結成された(たぶん)バンドの演奏に乗せて、クロンベルクス本人が自作を朗読するというものであった。文学関係のイベントに顔を出すようになってから、彼とはよく話す機会があり、あるとき「私は大江健三郎氏がノーベル賞を受賞した時、授賞式にいて彼と会ったのですよ」という話を聞いたことがある。さてバンドの演奏は、機材の調整をしているのか、なかなか始まらないので、他のイベントを見に行こうかと席を立とうとしたら、隣に座っていたイタリア文学翻訳家のメイエレ女史が、「これ、今日のイベントで一番面白いわよ。聴かなきゃだめよ」というので、しばらく我慢していたらほどなく始まった。バンドはフォークギター、バスギター、フルート、バイオリン、キーボードからなり、もちろんみんなアンプをつけていた。詩の内容と音楽がよく合っていて、メイエレ女史の言うとおり良いコンサートであった。最後に、キーボード奏者が世界各国の都市名(ラスベガスなどもあった)を挙げ、「これから、私たちは世界ツアーに出発します」と冗談を言うのでみんな爆笑、しかしイエテボリ(スウェーデン)の書籍見本市でコンサートをやるというのは、ひょっとして本当かもしれない。
 その後同じステージで行われたコンサートも、プログラムを見て気になっていた。ソ連時代末期、独立運動のさまざまな集会やデモで歌い、シンボル的存在だった女性歌手(日本でいうフォーク歌手)、アクラーテレが、最もあぶらの乗っている女性詩人のひとりアイスプリエテと共同で、CDつきの本を出したので、この二人にもう一人のギター奏者が加わってミニコンサートを開いたのである。なおこのCDは新規録音ということである。
 私のように、ラトビア国外でラトビア語を独学で学んだ外国人なら、アクラーテレの名は大抵知っているはずである。ある外国人向けのラトビア語教科書のカセットに、彼女の歌が一曲収録されているからだ。「神よ、全ラトビア民族を救い給え」というもので、非常にナショナリズムに満ち溢れているのだが、彼女自身は偏狭な民族主義者ではない。以前新聞で読んだが、彼女の最初の夫は反体制ロシア人だったそうである。さてそのカセットに収録されている歌は比較的低音だが、彼女の持ち味は高音域のやや上ずった独特な声で、人によって好みが分かれるかもしれない。ともかく、独立を目指して熱く燃えた当時のラトビア人だけでなく、私のような者にとっても伝説の歌手なのである。ずいぶん前にある会合で会ったことがあり、全く飾らない気さくな性格にちょっと驚いたものだが、それ以来本当に久しぶりであった。
 ラトビアが独立して17年目になるが、彼女の歌が健在なのはうれしかった。プログラミングもよく、すべてが印象的な旋律の名曲で、私が日本で勉強していた頃愛聴したあの歌も歌った。録音で繰り返し聴いて気に入った曲を、生で聴くというのはこれほど感動的なものかと、改めて思った。コンサートは短かったが、私はとても満足で、終演後サインをもらいに行った。以前会った時は、ラトビア語教科書のカセットの話をしなかったので、今回その話をしたらとても喜んでいた。どうもアクラーテレ本人は、このことを知らなかったようである。著作権などはどうなっているのだろうか、と気になったが、その教科書も今は改訂版が出て、カセットはCDになっており、私は聴いていないので、今もその歌が収録されているかはわからない。