2月28日(木)から3月2日(日)まで、ダウガワ河を向こう岸に渡ってすぐの国際展示場で、書籍見本市が開かれている。金曜日は丸一日用事が入っていたので、木曜日と土曜日に行ってきた。
今回は、バルト三国からの出店があるほか、ロシアの書店・出版社もゲストとして出店するということで、新聞などでもずいぶん取り上げられていた。ロシアがゲストという扱いなのは、まだラトビア・ロシア関係が複雑であることをうかがわせるが、政治や外交の世界では、最近両国関係はかなり進展している。まあなんといっても、ラトビアではロシアの本の需要が非常に高い(ロシア人だけでなく、ラトビア人も読む)ことがあるのだろう。また、同じ建物内で大学進学フェアが開かれており、中等学校の生徒が大勢集まってにぎわっていた。
木曜日はまだ客足がそれほどでもなく、落ち着いて買い物ができた。期間中は様々なイベントが行われるので、すいているうちにめぼしい本を買ってしまおうというわけである。といっても普段書店で目にすることのない掘り出し物がわんさか、というわけではないのだが、とにかく安いのである。私の場合は「安物買いの銭失い」だが…
こちらの書籍流通は、日本の再販制度のようなものがないため、新刊書でも書店によって値段が違い、売り切れてしまうと全く入手不可能になる。日本人にとっては驚きである。出版社の中には自前の書店を持っているところとそうでないところがあり、前者はたいてい自社の本を他店より安く売っている。日本でいろいろ議論を巻き起こしている○ックオ○のようないわゆる「新古書店」もないので、いい本は見つけたらすぐ買う、という習慣はソ連時代とあまり変わらない。一方、当分出回っていそうな本は、こういうイベントで安く買うまで待つ、ということになる。見本市では店を持っていない出版社も出店していて、こういう出版社は特に安く買うチャンスである。
編集者、作家、古書籍商、また会場でバイトしている文学部の学生など、知り合いを多く見かけたので、会話を楽しんだ。中にはずいぶん久しぶりの人もいたので、こういうイベントに顔を出すのはいいものだ。
私としてはバルト三国の他の国、エストニアやリトワニアからの出店も楽しみで、普段は現地に行かないと買えない本がどれだけあるかと期待していたが、各国1~2つのブースがあるだけで、しかも展示するだけで売れません、といわれてしまった本もあり残念であった(話がそれるが、ラトビアでは地方間の書籍流通もないに等しいので、リーガですら地方出版物が買えない。何とかしてもらいたいものだ)。リトワニアの本は、ブースにいたリトワニア人の女性がどこかに電話して問い合わせていたが、結局どれも買えなかった。ロシア書のブースも似たようなものだったが、そちらは人によって言うことが違い、最初に声をかけた人に「その本はお売りできないんですよ」と言われても、あきらめずに別の人に訊くと、「ああ、それはいくらいくらです」と言われ、買うことができた。どうやら、担当者が来ている出版社の本が買えるが、担当者のいない出版社の本は買えない、ということのようであった。こういう妙なことはこちらではしばしばある。その他どうしても欲しい本があり、今回のロシアからの出店の総元締め(?)の男性に訊いたら「少々お待ちください」と言われたが、彼はその後シンポジウムなどに出ずっぱりで、それっきりになってしまった。
ドイツなどで開かれる同様のイベントに比べたら、はるかに小規模でどうということはないかもしれないが、それでも私がいる間だけでも、この国の文化大臣や、ロシアから着任したばかりの大使が視察に訪れ、ウクライナの大使も(おそらく個人的に)見に来ていた。話は変わるが、このウクライナ大使はきわめてユニークな人物である。まず、父親がグルジア人、母親がウクライナ人のハーフであり、スラブ人らしからぬ風貌と姓を持っている。そして、詩人であり、グルジア語とウクライナ語で詩を書き、翻訳もしている。ラトビア語からの翻訳もしている(話すのは苦手だと言っていた)。たびたび文学関係のイベントに現れるので、何度か見かけ、話を聞いたことはあるが、昨年12月に初めて話す機会があった。
木曜日は本の購入が中心だったが、土曜日はイベントを楽しむことにいた。地方都市から友人がやってきたので一緒に見に行った。まず、エストニア書籍のブースで民話集と、エストニア東部、ロシア国境地帯の、特異な文化的背景を持つペッツェリ地方のアルバムを買った。それにしてもエストニアは本が高い。値段をきいて「やっぱりやめます」とも言えず、買ってしまった。それからロシア書のブースに行って、元締めの男性を捕まえたら、彼のほうから話しかけてきた。「ああ、ずっと探してたのですよ」「どうもすみません。木曜は用があってあの後すぐ帰ってしまい、金曜は来られなかったもので」「それであの本なんですが、あれ1部しかなくて、しかも文化大臣にプレゼントしてしまいました」やれやれ、である。
近くではロシアの出版や文学関係のシンポジウムが開かれており、ロシアの売れっ子の作家が何人も来ていた。リーガ出身の作家、アレクサンドル・ゲニスがいたので、シンポジウムが終わった後話しかけてみた。彼は何度も日本を訪れているし、日本でも紹介されているので、知っている人も多いだろう。私もこういうときはミーハーになってしまう。ゲニスの本は既に持っているので、持って行ってサインしてもらえばよかったと後悔した。
会場内にイベントを開ける場所がいくつか設けられており、同時に数ヶ所で何かやっていたり、プログラムと全然違う時間にやっていたりするのでうろうろ歩きまわっていろいろ「つまみ食い」したが、会場の一番奥でやっていた二つのコンサートが特に面白かった。
スウェーデンで亡命生活を送り、現在はラトビアと行ったり来たりして活動している、クロンベルクスという詩人・訳詩家の本のプレゼンは、この日のために結成された(たぶん)バンドの演奏に乗せて、クロンベルクス本人が自作を朗読するというものであった。文学関係のイベントに顔を出すようになってから、彼とはよく話す機会があり、あるとき「私は大江健三郎氏がノーベル賞を受賞した時、授賞式にいて彼と会ったのですよ」という話を聞いたことがある。さてバンドの演奏は、機材の調整をしているのか、なかなか始まらないので、他のイベントを見に行こうかと席を立とうとしたら、隣に座っていたイタリア文学翻訳家のメイエレ女史が、「これ、今日のイベントで一番面白いわよ。聴かなきゃだめよ」というので、しばらく我慢していたらほどなく始まった。バンドはフォークギター、バスギター、フルート、バイオリン、キーボードからなり、もちろんみんなアンプをつけていた。詩の内容と音楽がよく合っていて、メイエレ女史の言うとおり良いコンサートであった。最後に、キーボード奏者が世界各国の都市名(ラスベガスなどもあった)を挙げ、「これから、私たちは世界ツアーに出発します」と冗談を言うのでみんな爆笑、しかしイエテボリ(スウェーデン)の書籍見本市でコンサートをやるというのは、ひょっとして本当かもしれない。
その後同じステージで行われたコンサートも、プログラムを見て気になっていた。ソ連時代末期、独立運動のさまざまな集会やデモで歌い、シンボル的存在だった女性歌手(日本でいうフォーク歌手)、アクラーテレが、最もあぶらの乗っている女性詩人のひとりアイスプリエテと共同で、CDつきの本を出したので、この二人にもう一人のギター奏者が加わってミニコンサートを開いたのである。なおこのCDは新規録音ということである。
私のように、ラトビア国外でラトビア語を独学で学んだ外国人なら、アクラーテレの名は大抵知っているはずである。ある外国人向けのラトビア語教科書のカセットに、彼女の歌が一曲収録されているからだ。「神よ、全ラトビア民族を救い給え」というもので、非常にナショナリズムに満ち溢れているのだが、彼女自身は偏狭な民族主義者ではない。以前新聞で読んだが、彼女の最初の夫は反体制ロシア人だったそうである。さてそのカセットに収録されている歌は比較的低音だが、彼女の持ち味は高音域のやや上ずった独特な声で、人によって好みが分かれるかもしれない。ともかく、独立を目指して熱く燃えた当時のラトビア人だけでなく、私のような者にとっても伝説の歌手なのである。ずいぶん前にある会合で会ったことがあり、全く飾らない気さくな性格にちょっと驚いたものだが、それ以来本当に久しぶりであった。
ラトビアが独立して17年目になるが、彼女の歌が健在なのはうれしかった。プログラミングもよく、すべてが印象的な旋律の名曲で、私が日本で勉強していた頃愛聴したあの歌も歌った。録音で繰り返し聴いて気に入った曲を、生で聴くというのはこれほど感動的なものかと、改めて思った。コンサートは短かったが、私はとても満足で、終演後サインをもらいに行った。以前会った時は、ラトビア語教科書のカセットの話をしなかったので、今回その話をしたらとても喜んでいた。どうもアクラーテレ本人は、このことを知らなかったようである。著作権などはどうなっているのだろうか、と気になったが、その教科書も今は改訂版が出て、カセットはCDになっており、私は聴いていないので、今もその歌が収録されているかはわからない。