植物園
5月24日(日)、リーガ市内にあるラトビア大学付属植物園に行ってきた。すぐ下のドベレの果樹栽培研究所の方が後なのだが、投稿の順序が逆になってしまった。(続きはまた書きます)
ラトビア在住の日本人男性が、この国の文化を紹介。音楽情報などを通じてその魅力を探っていきます。
5月30日(土)、以前から気になっていた果樹栽培研究所へ行ってみることにした。
どうも最近、演奏会に行く機会がなく寂しかったのだが、28日(木)、リーガ大聖堂に行ってきた。世界初演があるよ、という話だったので楽しみであった。
23日(土)、中央駅裏手の地区を散歩した。中央市場があり、周辺はバラックや貧困層の住居が目につき、治安が悪いと悪名高い地区だが、何を隠そう私はこの地区に住んでいたことがある。危険な目にあったことはないが、真っ昼間から酔っぱらいがうろうろしているようなところである。観光客が足を踏み入れることはまずないだろうが、個人旅行者にはくれぐれも気をつけていただきたい。
4月後半から5月初めにかけ、何週間も雨が降らなかった。乾燥してのどがいがらっぽい。周りにもそういう人がたくさんいた。しかし、連休が開けてから(ラトビアでは5月1日と4日が祝日なので、今年は4連休)、6日の晩にザァーっときた。ちょうど私は帰宅途中で、旧市街を歩いていたところであった。傘など持っていないので雨宿りをしようと、ガレージのようなところに入った。すると、若い男と中年の女性が話をしている。ちらっと見てみると、若い男はラトビア文学センター所長のヤーニス君(まだ20代!なので君付けにさせてもらう)、中年の女性は詩人のランガ女史であった。
このブログの読者の中には、ラトビア語に興味を持ち、勉強してみたいと思われる方もおられるかもしれない。しかし、残念ながら、日本人向けに日本語で書かれた教科書は出版されていない。唯一、村田郁夫編[ラトビア語基礎1500語](大学書林)があるのみである。
(一部修正しました)5月1日、アフガニスタンで活動するラトビア軍の兵士2名が戦闘で亡くなり、3名(看護師含む)が負傷するということがあった。ご冥福をお祈りするとともに、負傷された方々の一刻も早い回復をお祈りしたい。それにしても、30年前に当時のソ連はアフガニスタンに軍事介入したわけだが、ソ連から独立したバルト三国の兵士が、今度はNATOの一員として兵を送らなければならないとは、何という歴史の皮肉であろうか。