ラトビア便り

ラトビア在住の日本人男性が、この国の文化を紹介。音楽情報などを通じてその魅力を探っていきます。

2006年10月29日

100周年(3)

 生誕100周年を迎えたラトビアの文化人として、亡命作家アンシュラウス・エグリーティスの名を挙げることができる。話しはまた少し前に戻るが、そのイベントに行ってきた。
 会場はラトビア人協会、9月に我々が北條陽子さんの日本のピアノ音楽のプレゼンテーションを開催したところである。同協会の会長はルームニエクス氏、作家である。数年前から親しくさせてもらっている。
 アンシュラウス・エグリーティスは小説と戯曲が有名で、詩も遺している。戦後アメリカに亡命した。イベントは、数名の俳優による戯曲の一部の上演、長編小説の一説の朗読、また彼と親交のあった作家や批評家の話、と盛りだくさんで面白かった。ソ連時代から活躍している老作家、ズィグムンツ・スクインシュ氏が、「彼は亡命作家だから、ソ連時代は読むことが出来なかったけれど、一度古書店で彼の本を見たことがありますよ」と語っているのが興味深かった。 イベントの後は同協会の別室でパーティーが開かれた。偶然、ドイツ人のラトビア文学翻訳家、マティアス君に会い、私は招待されてもいないのにパーティーに参加してしまった。ルームニエクス氏も来ていて、私は外国人向けのラトビア語教材の中にアンシュラウス・エグリーティスの作品が取り上げられているものがあり、いくつかの短編は非常に印象に残っている、という話をしたら、皆とても感心していた。

プーシキン通りの夜会

 忙しくとも、幸い土日祝日は休みである。
 金曜、今シーズン最初のプーシキン通りの夜会が開かれた。ラトビアにロシアの詩人プーシキンの名を冠した通りがあるのか、といぶかる向きもあろうが、リーガではトゥルゲーネフやゴーゴリとともに、中央駅裏手のいわゆる「モスクワ地区」にそれらは存在するのである。
 この夜会は、プーシキン通り1という素晴しい住所の年季の入った建物に、3部屋の大きなアパートを構えているゾルネロビッチ夫妻(ラトビア人)が、秋から春にかけておよそ月1回の割で、若手を中心とした詩の朗読やミニコンサートを開いているものである。広い部屋とはいえ、何十人もの人が集まるので、本当に足の踏み場もない。
 私はこういうイベントが好きである。こういうところを足がかりにして、文化が生まれていく、と思っているからだ。今回は約20分の寸劇がメインイベントで、その他にはギターの弾き語りコンサートやロシアの作家D.ハルムスの作品朗読も行なわれた。しかし全員がロシア語を解するわけではないので、ポカンとしている人もいた。私などはげらげら笑っていたらみんなに注目されてしまった。
 みんな思い思いにその場を楽しんでいる。台所で酒を飲みながら語らうのもよい。これだけ猥雑とした空間なのに、酔って暴れる人間もいなければ、モノが盗まれたこともないという。ゾルネロビッチ夫妻の人徳のなせる業だろうか。夜会なので泊まっていく人もいる。その辺に雑魚寝するのだ。私は今回も泊まってしまった。
 こういうところに集まる人々を見ていると、ラトビアの人々の休日の過ごし方は、なかなか優雅なものだと思ってしまう。

100周年(2)

 作曲家ヤーニス・イワノウスに関しては、今月さまざまな演奏会やイベントが開かれていた。私は中旬から非常に忙しくなってしまったので、それ以前に聴くことのできたものについて報告しようと思う。
 ピアニストのカルンツィエムス教授が、イワノウスの「ピアノのための24のスケッチ」という作品を全曲演奏する演奏会があった。24という曲数でピンと来る方も多いと思うが、全ての調性の曲が1曲ずつ入っており、バッハの平均律クラビーア曲集やショスタコビッチの「24の前奏曲とフーガ」と同様だが、イワノウスの作品はハ長調から半音ずつ上がっていくようにはなっていない。また、これは彼の作品としては難解である。私も一度聴いただけではよくわからない曲もあった。かなり長いので途中で休憩が入った。演奏会場ではカルンツィエムス氏本人の演奏の入ったCDと、出版されたばかりの楽譜が販売されており、両方一緒に買うと割引になるので一緒に買った。
 イワノウス国際学会も開かれた。会場は音楽アカデミーで、3日間にわたっていたのだが、私は初日しか聞けなかった。その日の最後に、「ロシア正教旧典礼派としてのイワノウス」という表題の研究発表があった。詳しくはここに書かないが、ロシア正教にも宗教改革というか、典礼改革があって、それに納得しなかった人々が今でも各地で信仰を保っている。ラトビアもリーガと東部を中心に、きわめてわずかながら信者がいる。 さて、この発表が始まる前に、イワノウスの親族や、その他さまざまな人が演壇に出てきて、彼は旧典礼派ではなかった、と主張したりして、まだ発表者がでてきてもいないうちから紛糾してしまったのである。しかも、司会者たちが何とかその場をおさめ、発表が始まったのだが、その内容たるや、イワノウスの先祖や親族に旧典礼派がいたことを明らかにしただけで、肝心の本人については「そういう証拠はない」というのが結論だったのである。我々みんな肩透かしを食ったわけなのであるが、それでも音楽学者(北條さんのプレゼンで司会を務めたボミクス氏)が、「イワノウスの音楽からは、旧典礼派であることを示すようなものは何一つ見つかりません」などとコメントして、まったくかみ合わない議論になってしまったのである。発表者も悪いが、同時に、こういうテーマの難しさも実感した。
 ちなみに、正教(ロシアからは独立しているのでラトビア正教といってよいだろう)は、現在もラトビア人の信者がいる。帝政ロシアの同化政策という一面もあったが、すでに19世紀にはラトビア語で本を出したりしているので、そうとばかりもいえない。ペレーツィス氏も正教徒である。民族主義の嵐が吹き荒れるこの時代、正教に露骨な不快感を示すラトビア人民族主義者もいて、あまりよい立場に置かれていないが、ラトビア人の文化の一側面として、客観的に見てゆくべきだろう。どういう背景があるにせよ、信じている人々がいるのだから。 たとえば、2001年に、リーガ建都800周年を記念した一連のイベントで、カトリック・プロテスタント・正教の委嘱作品合同コンサートが、オルガンで有名なかのプロテスタントのリーガ大聖堂(ドーム)で行なわれたこと、などは注目してよい。正教の音楽は、もちろんペレーツィス氏が担当した。

2006年10月7日

100周年

 このブログは、投稿した時刻の表示がおかしい。投稿のときに変更できるのだが、注意しないでそのまま投稿すると全然違う時間になっていたりする。これまでの投稿については時刻は無視してください(日付は多分あってる…?)。
 さて、今年生誕100周年を迎える大作曲家といえばドミトリー・ショスタコービチだが、ラトビアの作曲家ではヤーニス・イワノウス(1906?83)がそうで、記念コンサートやプレゼンテーションなどが目白押しである。10月7日(土)、彼の管弦楽作品の演奏会を聴きに大ギルドへ行ってきた。演奏は大ギルドを本拠地とするラトビア国立交響楽団。
 イワノウスはラトビア交響楽の基礎を築いたと言えるだろう。交響曲を何と21曲も書いている。これは20世紀の作曲家としては、ミャスコフスキーに次ぐ多さではないだろうか。 7日のプログラムは交響詩『虹』、バイオリン協奏曲、交響曲第4番『アトランティック』。実は私が長年追いかけている作曲家・音楽学者ペレーツィス氏が、イワノウスの研究もしており、最近も100周年にあわせてか、論文が刊行されている。イワノウス作品のCDはカメオやマルコ・ポーロなどが出しており、私も日本にいた頃から何枚か購入して聴いていた。初期の交響曲あたりから聴いてみると良いと思う。

2006年10月6日

ラトビアへ帰還

10月6日(金)午後、プラハから飛行機でリーガへ戻ってきた。これから忙しくなりそう。旅行のことはまた日を改めて書くことにしたい。

2006年10月1日

ただいま旅行中

北欧・東欧を旅行中の、大学時代の友人T氏が、9月28日(木)にリーガに到着した。私は直前まで雑用に追われていたので、どうなるか分からなかったが、ぎりぎりになって用事が片付いたので、リーガ市内を案内したあと、彼に同行して中東欧旅行に出ることにした。9月30日昼リーガを出発し、バスと列車を乗り継いで、現在、ポーランド南部の古都クラクフに滞在している。詳しくはまた日を改めて書こうと思う。お休みなさい。