作曲家ヤーニス・イワノウスに関しては、今月さまざまな演奏会やイベントが開かれていた。私は中旬から非常に忙しくなってしまったので、それ以前に聴くことのできたものについて報告しようと思う。
ピアニストのカルンツィエムス教授が、イワノウスの「ピアノのための24のスケッチ」という作品を全曲演奏する演奏会があった。24という曲数でピンと来る方も多いと思うが、全ての調性の曲が1曲ずつ入っており、バッハの平均律クラビーア曲集やショスタコビッチの「24の前奏曲とフーガ」と同様だが、イワノウスの作品はハ長調から半音ずつ上がっていくようにはなっていない。また、これは彼の作品としては難解である。私も一度聴いただけではよくわからない曲もあった。かなり長いので途中で休憩が入った。演奏会場ではカルンツィエムス氏本人の演奏の入ったCDと、出版されたばかりの楽譜が販売されており、両方一緒に買うと割引になるので一緒に買った。
イワノウス国際学会も開かれた。会場は音楽アカデミーで、3日間にわたっていたのだが、私は初日しか聞けなかった。その日の最後に、「ロシア正教旧典礼派としてのイワノウス」という表題の研究発表があった。詳しくはここに書かないが、ロシア正教にも宗教改革というか、典礼改革があって、それに納得しなかった人々が今でも各地で信仰を保っている。ラトビアもリーガと東部を中心に、きわめてわずかながら信者がいる。 さて、この発表が始まる前に、イワノウスの親族や、その他さまざまな人が演壇に出てきて、彼は旧典礼派ではなかった、と主張したりして、まだ発表者がでてきてもいないうちから紛糾してしまったのである。しかも、司会者たちが何とかその場をおさめ、発表が始まったのだが、その内容たるや、イワノウスの先祖や親族に旧典礼派がいたことを明らかにしただけで、肝心の本人については「そういう証拠はない」というのが結論だったのである。我々みんな肩透かしを食ったわけなのであるが、それでも音楽学者(北條さんのプレゼンで司会を務めたボミクス氏)が、「イワノウスの音楽からは、旧典礼派であることを示すようなものは何一つ見つかりません」などとコメントして、まったくかみ合わない議論になってしまったのである。発表者も悪いが、同時に、こういうテーマの難しさも実感した。
ちなみに、正教(ロシアからは独立しているのでラトビア正教といってよいだろう)は、現在もラトビア人の信者がいる。帝政ロシアの同化政策という一面もあったが、すでに19世紀にはラトビア語で本を出したりしているので、そうとばかりもいえない。ペレーツィス氏も正教徒である。民族主義の嵐が吹き荒れるこの時代、正教に露骨な不快感を示すラトビア人民族主義者もいて、あまりよい立場に置かれていないが、ラトビア人の文化の一側面として、客観的に見てゆくべきだろう。どういう背景があるにせよ、信じている人々がいるのだから。 たとえば、2001年に、リーガ建都800周年を記念した一連のイベントで、カトリック・プロテスタント・正教の委嘱作品合同コンサートが、オルガンで有名なかのプロテスタントのリーガ大聖堂(ドーム)で行なわれたこと、などは注目してよい。正教の音楽は、もちろんペレーツィス氏が担当した。