夏至祭
ラトビア人にとって最も重要な年中行事は、夏至祭である。最近のアンケートでも7割が、「重要だ」と答えたそうだ。実際に最も昼が長い日は毎年変わるが、この国では公休日が6月23,24日に固定されている。今年はちょうど土日に重なってしまい、夏至に限らず振替休日というものが一切設けられないため、みんな残念がっているかと思ったが、それはそれで楽しんでいたようである。だいたい、明けて25日(月)はまだ市内に人が少なく、閑散としている。
一週間前の16日(土)、リーガの中心部の運河の両岸にある公園で、前夜祭のようなものが行われた。地方からフォークロア・グループがやってきて、その地方の民族衣装をまとい、その地方の民謡を歌い(もちろんそれぞれの方言で)、自家製ビールや夏至祭用のチーズを振舞う。やはり民謡を聴くのが面白い。ラトビアは民謡の宝庫で、夏至祭で歌う歌を集めた本だけでも何冊も出ている。いつも思うことだが、こういうのを無料でやっていて、お金はどこから出るのだろうか気になる。でもまあいいか。地方の人というのは、なかなか余所者にうちとけずドライなリーガの人間と違い、人懐こくて私のような外国人にも話しかけてくる。本来なら火をたく儀式があるはずだが、町の中心部なので行われなかった。それに最近は当局の取締りが五月蝿いのである。
今年は6月21日が本当の夏至だったらしい。というわけで、リーガから電車で東方へ約1時間のスィグルダというリゾート地で、本格的に儀式を行なうところがあるということで、知人に誘われて行ってみた。夏至祭で面白いのは、リーガはもぬけの殻となり、みんな地方へ散らばってしまうのだが、どこへ行っても必ず知人に会うのである。この日は平日なのでそうでもなかったが、それでも知人はやたら見かけたし、新たに友達も何人かできた。外国人はちらほら見かけるが、このときは宗教学のシンポジウムが行われていたらしく、ロシア人、イタリア人、アメリカ在住のインド人でヒンドゥー教の活動家、などさまざまな人々が来ていた。
どこでも火を焚くことは共通しているが、ここでは集まった人々が、用意された色々な草木の種を手に取り、火に向かって投げつける、というのがある。一年間の不幸や嫌なことを追い払おうというわけだ。女性たちは花輪や、カシの木の葉で花輪を作り、皆にかぶせるのだが(これはどこでもある)、これも本来は1年後までとっておき、翌年の夏至祭で燃やすことになっている。何だが初詣で前の年の絵馬や御札などを燃やすのに似ている。時々、ラトビア人から「我々と日本人の自然信仰は共通点がありますね」と言われる。一連の儀式が終わり暗くなってくると、皆気ままに歌ったり踊ったりする。多くが夜明けまで寝ないで待っているのだ。しかし世知辛い世の中、車を出してくれた知人も私も、次の日は金曜日で用事がある。私はロシアからそのシンポに参加していた人々と話していたが、皆がまだ楽しそうに踊っている間、束の間の暗闇の中、リーガへと取って返した。といっても3時近かったが。
金曜日は朝から晩まで用事があり、土曜日は遅くまで寝ていた。昼前、木曜日に一緒にスィグルダへ行ったのと同じ仲間から電話があり、今度は北の方へ電車で1時間ほど行ったところに車で迎えに来てもらうことにした。運転手氏は何か用事があったらしい。毎年夏至祭恒例の、某有名作曲家の野外コンサートがあって、行ってはみたがなかなか始まらないし、運転手氏がその作曲家が嫌いで(私もあまり好きではない)、どうせ毎年同じようなものだし、などと言い合っているうちに、ドルスティというところでそろそろ儀式が始まる時間だからと、コンサートを聴きたがっていた約1名を引っ張り出して会場を後にした。
ドルスティは私も同じメンバーで夏至祭を訪問するのが3回目ぐらいになる。ここでは学校の教師をしているオヤールスさんという男性が昔の儀式を研究して再現し、自ら執り行っている。木曜日のスィグルダとはかなり異なる。種をまく儀式などはなくもっと地味な感じである。しかし何といっても場所が良い。こんもりとした丘で、眺めも良く、何か霊験あらたかな聖山という趣である。普段そういう感覚がまるでない私でも、ここへ来るとそう感じるのだから不思議である。
すがすがしい夜明けである。周囲には殆ど人家がない。首都から車で1時間ほどのところに、こういう場所があるのは日本では想像できない。夜が明けるとしんみりとした雰囲気で歌を歌い、ぼちぼち解散となる。我々はドルスティから程近い、、アウリ(以前の投稿参照)のメンバーなどが時々集まるアウリュカルンス(その名も「アウリの山」)と名づけられた、民族音楽センターのマーリス・ヤンソンス所長の家に泊めてもらった。これも慣例になっている。ところで、日本でも有名な世界的指揮者は、マリス・ヤンソンスである。マリスとマーリスでは全く違う名前である。彼が突然、自分のギターに漢字で芸名(?)のようなものを書きたいと言うので、いくつかの字を教えてあげた。
それからはまたドライブである。そして、運転手氏が所有する土地(と言っても、森と原野である)を散策した。これも何回目かだが、鬱蒼とした森や湿地帯の中を歩きとおすのである。以前、同じ場所を歩いていたところ、絶滅危惧種の植物があって、これがそうだと教えてもらったのだが、今回は植物博士がいないので残念である。珍しそうな高山植物(みたいなの)を何枚かカメラに収めた。
しばらくして別の友人から電話。夏至祭の時にはこのように、方々の知人をたずねて回る人もいる。彼は家族で過ごしていると言い、売店を見つけアイスクリームを買って行ってみると、何と家を建てていた。ここの都市住民はたいてい郊外に土地を持っており、セカンドハウスを自分で建ててしまう人も多かった。今は金持ちが業者に頼んで、瀟洒な家を建ててしまうこともあるが、庶民はどっこい頑張っている。友人は家族に最近できた彼女を加え、総出でピルツ(ラトビア式サウナ)を建て始めたところで、まだ土台だけである。家だけ建ててピルツは後回し、でなかなかできないことも多いが、いやそれだからか、彼らはピルツを先に建てることにしたのだ。不退転の決意である。それにしてもかなりの傾斜地で大丈夫なのか、心配になった。水準器で何度も測っていたが、どう見ても傾いている。ともかく、のんびりとはしているが、このように家の仕事をする人も多いのだ。
しばらく飲み食いして語らった後、運転手氏の知り合いでホテルを経営している(このあたりはスキーリゾートで冬は賑わうが、夏は閑散としている)おばさんのところへ寄った後、運転手氏のセカンドハウスに行った。彼も一仕事あるのである。物置にあるがらくたのようなもの(オートバイのサイドカーだというが、一見してそれとは分からない)を分解して、何やら部品を取り出していた。我々も手伝ったり、その辺を散歩したりしていた。しかし、牧歌的な光景ばかりではないのである。運転手氏の家からはなんと石臼が盗まれていた。セカンドハウスに何者かが忍び込み、物を盗んでいくことはしばしばある。だからあまり頻繁に訪れないときは、金目のものは置いておかないのだが、まさか石臼が盗まれるとは。 それでも何とか、サイドカーから部品を取り出すのは成功したらしい。薄暗くなった頃、リーガへ引き返した。我々の短い夏至祭は終了したのである。
ところで、今まで考えていなかったが、このブログは写真を載せることができるらしい。百聞は一見にしかず、下手な文章より写真で見ていただいたほうがいいものもたくさんある。過去の投稿を含め、徐々にアップしていきたい。ずっと以前の文章も、時々目を通していただければ幸いである。