ラトビア便り

ラトビア在住の日本人男性が、この国の文化を紹介。音楽情報などを通じてその魅力を探っていきます。

2007年6月25日

夏至祭

 ラトビア人にとって最も重要な年中行事は、夏至祭である。最近のアンケートでも7割が、「重要だ」と答えたそうだ。実際に最も昼が長い日は毎年変わるが、この国では公休日が6月23,24日に固定されている。今年はちょうど土日に重なってしまい、夏至に限らず振替休日というものが一切設けられないため、みんな残念がっているかと思ったが、それはそれで楽しんでいたようである。だいたい、明けて25日(月)はまだ市内に人が少なく、閑散としている。
 一週間前の16日(土)、リーガの中心部の運河の両岸にある公園で、前夜祭のようなものが行われた。地方からフォークロア・グループがやってきて、その地方の民族衣装をまとい、その地方の民謡を歌い(もちろんそれぞれの方言で)、自家製ビールや夏至祭用のチーズを振舞う。やはり民謡を聴くのが面白い。ラトビアは民謡の宝庫で、夏至祭で歌う歌を集めた本だけでも何冊も出ている。いつも思うことだが、こういうのを無料でやっていて、お金はどこから出るのだろうか気になる。でもまあいいか。地方の人というのは、なかなか余所者にうちとけずドライなリーガの人間と違い、人懐こくて私のような外国人にも話しかけてくる。本来なら火をたく儀式があるはずだが、町の中心部なので行われなかった。それに最近は当局の取締りが五月蝿いのである。
 今年は6月21日が本当の夏至だったらしい。というわけで、リーガから電車で東方へ約1時間のスィグルダというリゾート地で、本格的に儀式を行なうところがあるということで、知人に誘われて行ってみた。夏至祭で面白いのは、リーガはもぬけの殻となり、みんな地方へ散らばってしまうのだが、どこへ行っても必ず知人に会うのである。この日は平日なのでそうでもなかったが、それでも知人はやたら見かけたし、新たに友達も何人かできた。外国人はちらほら見かけるが、このときは宗教学のシンポジウムが行われていたらしく、ロシア人、イタリア人、アメリカ在住のインド人でヒンドゥー教の活動家、などさまざまな人々が来ていた。
 どこでも火を焚くことは共通しているが、ここでは集まった人々が、用意された色々な草木の種を手に取り、火に向かって投げつける、というのがある。一年間の不幸や嫌なことを追い払おうというわけだ。女性たちは花輪や、カシの木の葉で花輪を作り、皆にかぶせるのだが(これはどこでもある)、これも本来は1年後までとっておき、翌年の夏至祭で燃やすことになっている。何だが初詣で前の年の絵馬や御札などを燃やすのに似ている。時々、ラトビア人から「我々と日本人の自然信仰は共通点がありますね」と言われる。一連の儀式が終わり暗くなってくると、皆気ままに歌ったり踊ったりする。多くが夜明けまで寝ないで待っているのだ。しかし世知辛い世の中、車を出してくれた知人も私も、次の日は金曜日で用事がある。私はロシアからそのシンポに参加していた人々と話していたが、皆がまだ楽しそうに踊っている間、束の間の暗闇の中、リーガへと取って返した。といっても3時近かったが。
 金曜日は朝から晩まで用事があり、土曜日は遅くまで寝ていた。昼前、木曜日に一緒にスィグルダへ行ったのと同じ仲間から電話があり、今度は北の方へ電車で1時間ほど行ったところに車で迎えに来てもらうことにした。運転手氏は何か用事があったらしい。毎年夏至祭恒例の、某有名作曲家の野外コンサートがあって、行ってはみたがなかなか始まらないし、運転手氏がその作曲家が嫌いで(私もあまり好きではない)、どうせ毎年同じようなものだし、などと言い合っているうちに、ドルスティというところでそろそろ儀式が始まる時間だからと、コンサートを聴きたがっていた約1名を引っ張り出して会場を後にした。
 ドルスティは私も同じメンバーで夏至祭を訪問するのが3回目ぐらいになる。ここでは学校の教師をしているオヤールスさんという男性が昔の儀式を研究して再現し、自ら執り行っている。木曜日のスィグルダとはかなり異なる。種をまく儀式などはなくもっと地味な感じである。しかし何といっても場所が良い。こんもりとした丘で、眺めも良く、何か霊験あらたかな聖山という趣である。普段そういう感覚がまるでない私でも、ここへ来るとそう感じるのだから不思議である。
 すがすがしい夜明けである。周囲には殆ど人家がない。首都から車で1時間ほどのところに、こういう場所があるのは日本では想像できない。夜が明けるとしんみりとした雰囲気で歌を歌い、ぼちぼち解散となる。我々はドルスティから程近い、、アウリ(以前の投稿参照)のメンバーなどが時々集まるアウリュカルンス(その名も「アウリの山」)と名づけられた、民族音楽センターのマーリス・ヤンソンス所長の家に泊めてもらった。これも慣例になっている。ところで、日本でも有名な世界的指揮者は、マリス・ヤンソンスである。マリスとマーリスでは全く違う名前である。彼が突然、自分のギターに漢字で芸名(?)のようなものを書きたいと言うので、いくつかの字を教えてあげた。
 それからはまたドライブである。そして、運転手氏が所有する土地(と言っても、森と原野である)を散策した。これも何回目かだが、鬱蒼とした森や湿地帯の中を歩きとおすのである。以前、同じ場所を歩いていたところ、絶滅危惧種の植物があって、これがそうだと教えてもらったのだが、今回は植物博士がいないので残念である。珍しそうな高山植物(みたいなの)を何枚かカメラに収めた。
 しばらくして別の友人から電話。夏至祭の時にはこのように、方々の知人をたずねて回る人もいる。彼は家族で過ごしていると言い、売店を見つけアイスクリームを買って行ってみると、何と家を建てていた。ここの都市住民はたいてい郊外に土地を持っており、セカンドハウスを自分で建ててしまう人も多かった。今は金持ちが業者に頼んで、瀟洒な家を建ててしまうこともあるが、庶民はどっこい頑張っている。友人は家族に最近できた彼女を加え、総出でピルツ(ラトビア式サウナ)を建て始めたところで、まだ土台だけである。家だけ建ててピルツは後回し、でなかなかできないことも多いが、いやそれだからか、彼らはピルツを先に建てることにしたのだ。不退転の決意である。それにしてもかなりの傾斜地で大丈夫なのか、心配になった。水準器で何度も測っていたが、どう見ても傾いている。ともかく、のんびりとはしているが、このように家の仕事をする人も多いのだ。
 しばらく飲み食いして語らった後、運転手氏の知り合いでホテルを経営している(このあたりはスキーリゾートで冬は賑わうが、夏は閑散としている)おばさんのところへ寄った後、運転手氏のセカンドハウスに行った。彼も一仕事あるのである。物置にあるがらくたのようなもの(オートバイのサイドカーだというが、一見してそれとは分からない)を分解して、何やら部品を取り出していた。我々も手伝ったり、その辺を散歩したりしていた。しかし、牧歌的な光景ばかりではないのである。運転手氏の家からはなんと石臼が盗まれていた。セカンドハウスに何者かが忍び込み、物を盗んでいくことはしばしばある。だからあまり頻繁に訪れないときは、金目のものは置いておかないのだが、まさか石臼が盗まれるとは。  それでも何とか、サイドカーから部品を取り出すのは成功したらしい。薄暗くなった頃、リーガへ引き返した。我々の短い夏至祭は終了したのである。
 ところで、今まで考えていなかったが、このブログは写真を載せることができるらしい。百聞は一見にしかず、下手な文章より写真で見ていただいたほうがいいものもたくさんある。過去の投稿を含め、徐々にアップしていきたい。ずっと以前の文章も、時々目を通していただければ幸いである。

2007年6月18日

「白いペレーツィス」

 1947年6月18日生まれの作曲家、ゲオルクス・ペレーツィス氏は、今日(日本ではもう日付が変わっているが)還暦を迎えた。還暦という特別な概念はないが、だいたい50歳ぐらいから10年ごとの節目を祝う他、25の倍数ということで75歳も重要である。
 前回の投稿に書いた、北條さんのCD発売のことを、多くの人に知らせようと思い、18日の昼間、ラトビアの音楽関係者やジャーナリストを中心にメールを打っておいた。もちろんペレーツィス氏にも送ったが、あまりパソコンがお得意ではないようなので、すぐ読んでもらえるか心配でもあった。
 夕方になって、ペレーツィス氏に電話をかけようと思い立った。私は相手が誰であるかに関わらず、日本語でも外国語でも、電話をかけるのが極端に苦手で、用件がない限り、親しい人にもまず電話をかけることはない。しかし、最も敬愛する作曲家の還暦である。また、楽譜のことで問い合わせたいことがあったので、勇気を振り絞って(?)電話をかけた。
 60歳の誕生日なら大勢の人が集まり、盛大に祝っているのかと思いきや、奥様が「今ちょっと庭に出ています」とおっしゃった。どうも庭弄りにいそしんでいるようだ。すぐご本人にかわってもらい、お祝いの言葉を述べ、用件を済ませた後、ペレーツィス氏が「今夜私のインタビューがラジオで放送されますよ」とおっしゃった。もちろん、そのことは知っている。ラトビア・ラジオ3チャンネルで制作したのだが、本放送は1チャンネルであるそうだ。帰宅してゆっくり聴こうと思っていた。また今月末、リーガから東方約50kmのスィグルダというリゾート地でコンサートがあるので、そのお誘いを受けた。
 電話を切ってしばらくたってから、気づいた。北條さんのCDのことを言うの、忘れた!これだから電話は苦手なのである。メモしておけばよいのだが、そのメモを見忘れることがある。同じだ。もう時間も遅いし、すぐラジオ番組が始まるので、また後日、でもそれも忘れそうだ。どうしよう。
 ラジオの特別番組は22時15分に始まった。番組名は「白いペレーツィス」という。これは、彼が「コンチェルティーノ・ビアンコ(白い小協奏曲)」という、ピアノの白鍵しか使わない協奏曲を書いたことに因む。また、ペレーツィスは特に珍しい苗字ではないが(作家などにもいた)、普通名詞だと「毛が灰色の動物」という意味があるから、ラトビア人にとってはユーモラスに響くわけである。何度も番組予告で流れていた、「白鍵協奏曲」とともに、聴き慣れた女性の司会者の声でインタビューは始まった。
 インタビューの合間に何曲か、ペレーツィスの作品がかかった。実は私も、知らない作品が結構あって、番組中にも2~3曲聴いたことのない曲があった。インタビューは、音楽学者と作曲家の二足のわらじを履くこと(彼のインタビューでは必ず出る質問だ)、彼の作曲スタイルや交友関係、特に世界的バイオリニスト、ギドン・クレーメルとの友情、といったことで、個人的に聞いたことのある話も多いが、彼の話はいつ聞いても含蓄に富んでいて、面白い。「私はお祭りが嫌いで、お祭りも日常的であれば良いと思っています」なるほど、だから晴れの60回目の誕生日も、奥様と自宅で庭仕事、なのである。
 私が少し前に出演した「私の音楽」は1時間だが、ペレーツィス特別番組は45分で終わってしまった。もっと色々聴きたかったのに、残念、と思っていたら、最後に何と、司会の女性がこう話し出したのだ。「昨年9月、リーガでリサイタルを開いた日本のピアニスト、北條陽子さんが、そのライブ録音を元にCDを出し、東京の山野楽器という音楽ショップで発売されました。このCDにはペレーツィスの「第4組曲」も収録されていて、棚の上の目立つところに置かれ、試聴もでき、また店内でBGMとして時々かかっているそうです」私はびっくりすると同時に感激した。昼間、私がメールで知らせたことを、そのまま語ってくれたのだ。そして最後に、ペレーツィス氏への何よりの誕生日プレゼントとして、北條さん演奏のペレーツィス「第4組曲」のサワリで番組は締めくくられたのである。
 インタビュー自体はもっと前に収録されて編集されていたはずだ。だから、これは私のメールを読んで、最後に付け足してくれたのに間違いない。何と粋な計らいであろうか。ラトビア・ラジオのスタッフの皆さん、ありがとう!
 ところで、この番組は、日本にいてもインターネットで聴くことができる。アーカイブに収録されていて当分の間は聴けるはずである。アドレスは下記の通り。
http://www.latvijasradio.lv/program/2007-06/20070618_1.htm
22:15のところをクリックするとストリーミングが始まる。2つあるが、左がReal Player、右がWindows Media Playerである。

2007年6月17日

北條さんのCD、山野楽器銀座店で発売

 昨年9月にリーガでリサイタルを開催されたピアニスト、北條陽子さんが、そのライブ録音を元にCDを出されたことは、すでにお知らせした通りだが、6月16日より、このCDが銀座の山野楽器で販売されていると、北條さんご本人よりご連絡があった。ジャケットを拡大したパネルとともに、目立つところに置かれている。また試聴もでき、時々店内でBGMとしてかかっているそうである。もちろんこの中にはラトビアの作曲家、ゲオルクス・ペレーツィスの「第4組曲」も含まれる。興味のある方には是非足を運んで、購入していただければ幸いである。なお、銀座店以外の山野楽器各支店に置いてあるかどうかは、今のところ不明である。

2007年6月13日

アウリ

 民族音楽を演奏するグループは数あれど、最近急速に人気と実力をつけてきたグループに、アウリ(Auli,文字化け防止のため、綴りを少し変えている)というのがある。使う楽器は、バグパイプと太鼓、そして人間の声だけで、曲によってはギーガ(直方体に組んだ木の箱に張られた二本の弦を、弓でこすって弾く民族楽器)、口琴なども使われることがあるが、いたってシンプルである。もっともライブではアンプを使っているし、ドラムセットも用いる。
 メンバーは10人ほどで、女性一人(エストニア人で、ラトビア語に堪能)を除けばむくつけき男ばかりである。一人オジサンがいるほかは、みんな若い。
 先月24日に引き続き、6月13日にもコンサートがあった。今回は新しいCDのプレゼンテーションである(展示だけでなく、売っていた)。会場は異なるが、どちらも使われなくなった工場などを利用して、ライブハウスのようにしている。前回のところは有名な場所だったが、企画した友人に「初めて来たから道に迷った」と言ったら、びっくりされた。「お前が知らないなんて!」私は、どうもお祭り男と思われているようである。
 アウリのスタイルは、ここの人々が好むオーセンティックというのか、厳密な時代考証かどうかは別として、いかにも古風な味を出しているといった感じで、衣装も茶色の1枚布から作ったもので統一されている。音楽のことはどう書いたらいいのだろうか、インターネットでサンプルを聞けるところがあったら、リンクをはることにしよう。
 眠くなってきたのでまた後日。どうもすみません。
 

ラトビア音楽コンサート

 国内の楽譜出版社、ムシカ・バルティカが月曜日、楽譜のプレゼンテーションを兼ねて無料コンサートを開いたので、音楽アカデミー2階のホールに行ってきた。
 プログラムは、今年きりの良い年を迎えるラトビアの作曲家たち、エーリクス・エッシェンワルツと女性の若手のホープ、グンデガ・シュミッテ(二人とも30歳)、機会があれば日本に紹介したいと思っているアルトゥルス・マスカツ(50歳)、そして還暦を迎える、ペーテリス・プラキディスと我らがゲオルクス・ペレーツィスの作品で、曲順もこの通りであった。なお、各々の誕生日は分からないので、年齢は正確ではない。あしからず。客席にはこれら作曲家の他、昨年還暦を迎えたペーテリス・バスクス、音楽学者など関係者も多数来ていた。なぜか全ての席が「予約席」となっていたが、かまわず空いている席に座った。
 前半はエッシェンワルツの作品、ギターと弦楽のための「沈黙の歌」に始まり、その後シュミッテの男声5重唱のための「Grasshopper」、マスカツの「5つの子供の詩」が演奏された。「沈黙の歌」は既に円熟の域に達しているといっても良い、若き巨匠の風格を感じさせる傑作。演奏は弦楽器の音色がところどころ貧弱な感じがしたが、ドイツから呼んだギタリストのソロは良かった。シュミッテの作品は、正直に告白するが、うとうとしてしまったので、ちゃんと書けない。ごめんなさい。男声2重唱の客席から向かって左から2番目の男が、トークをした。でも受けるかどうか自信がなく、すぐやめてしまった(結構面白かったが)。マスカツの作品も男声5重唱のためのもので、シュミッテの作品ともども、このグループ「コスモス」のために書き下ろされた作品のようである。マスカツの方は、ヒューヒュー、シューシュー、擬音を使ったり、楽譜を丸めて口につけて歌ったり、面白いのだがことさら子供っぽくしすぎではないのかとも思った。
 休憩が20分もあり、下に下りてみるとワインが振舞われていたので、ペレーツィス氏らとおしゃべりをした。楽譜は開演時からずっと並べられてはいるが、妙なことにただ置いてあるだけでその場で買えないのである。こちらではこういうことは時々ある。
 後半、プラキディスの作品は、当初チェロ独奏と弦楽のための「ロッシーニのパスティーシュ」の予定であったが、チェリストに健康上の問題があるとかで別の室内楽曲に変更になった。これも良かったが、皆残念がっていた。私もその「パスティーシュ」は昨年11月、独立記念日のコンサートともう一度、別のところで聴いたことがあるが、面白かった。
 そして、トリをつとめたのが、ペレーツィスの「Revelation」(啓示)である。これはカウンターテナー、弦楽、ピアノ、トランペット独奏という、ちょっと変わった編成だが、そこはペレーツィスの魔術、聴いているうちにすぐ違和感など感じなくなってしまう。私はこの曲も「パスティーシュ」同様、昨年11月の独立記念日コンサートで聴いたが、やはりトリで随分盛り上がったのを覚えている。今回、カウンターテナーの歌手が登場したとき、思い出した。前半、トークまでこなした長身の男(左から2番目)が「啓示」ではソロを務めたが、昨年11月の時も彼がソロだった。
 プログラムは作曲家の年齢順とはいえ、「啓示」を最後に持ってきたのは正解で、今回も大変盛り上がった。前半の若手たちも、すでにスタイルを確立した名手である。それにしても、楽譜会社の宣伝のために、こんなコンサートを無料で開いてしまうのだから、すばらしい。これだからこの国の音楽事情、目が離せない。

週末

 しつこいようだが夏である。開放的な季節だ。現地の人々は、週末になると、いや平日でも、どこで何をして遊ぼうか、とばかり考えている。もちろん私もそうだ。
 先週土曜は、中心部をほっつき歩いていたら、友人のK君から電話があって、遊びに来ないかと言うので、飲み物とお菓子を買って遊びに行った。
 K君は合気道を習っていて、東洋文化全般に関心がある。最近あまり会う機会がなかったが、以前彼から「コトダマというのは、一体何だろうね」ときかれ、とても困ったことがある。そして久しぶりに会って、夏の休日をぼうっと過ごしていたところ、やはり彼の追及は止まなかった。「コトダマって、一体何?」
 大変な週末である。心の休まる時もない。
 翌日曜日は、Jおじさんから電話があった。この人は外国旅行が好きで、アジアはタイ、カンボジア、ベトナムまで行ったことがあるが、日本はないという。この夏、本気で日本へ行くつもりらしく、私は何週間か前、英文のガイドブックを貸してあげた。そこで、航空券の手配のことなど、相談に乗った。
 さあて、来週は何をして遊ぼうか。

2007年6月4日

夏!

 暑い。先週前半は最高気温が30度以上、今日(月曜)もおそらくそうであったろう。
 しかし北国のこと、油断はならない。先週後半は冷え込み、肌寒かった。夕立も時々降る。また、夜はちゃんと(?)気温が下がって涼しくなるのがありがたい。
 さて、皇后陛下の御召し物だが、リトワニアでは国旗の色のブローチ(黄色、赤、緑)をお召しになっている写真を見つけた。この配色では、服のデザインは難しいだろうと思っていたのである。それから若干訂正だが、エストニアでの御召し物は帽子が3色なのではなくて、全体で3色になるようにデザインされていたのだった。しつこいようだが、日本のマスコミはこういうことに気づいて報道しているのだろうか。それとも、そんなこと全然気にしていないのだろうか。