クリスマス・オルガン演奏会
少し前に書いた、カシの木を引きずって練り歩く習慣だが、政治家の失言に水を差されたけれども、大会まで開かれて、誰が最も速くカシの木を引きずって走れるか、競争が行なわれたらしい。私はテレビで見ただけであるが…一連の行事に共通するのは、夜が長い上に晴れの日が少なく、気がめいりやすいこの時期を元気に過ごそうということなのであろう。
さて、グーグルで「ラトビア 音楽」と入力して検索すると、しばしばトップにこのブログがヒットすることがある。3か月以上さぼっていたのに申し訳ない気分だ。というわけで、音楽のことも折に触れて書いていかねばと思う。
クリスマスにはいろいろな演奏会が開かれるが、18日には大聖堂(ドーム教会)で、オルガン、合唱、ベルの演奏会があったので行ってみた。
ベルというのは日本でも最近見る(聴く)機会が増えたが、10人ぐらいで小さな鐘の様な楽器を鳴らすものである。音階や和音を作るために何十本ものベルを机に並べて、それをひっきりなしに持ちかえ、振って鳴らすのである。この日の演奏会ではベルの合奏団はベル単独で、オルガンや合唱との共演はない。大聖堂のオルガンというのは入口を入ってすぐのところの頭上にあるが、祭壇や舞台(のようなもの)は反対側の一番奥にある。ベルはそちら側で演奏したが、離れていても不都合はなかったわけである。合唱団はというと、頭上のオルガンのところにいて、声はすれども姿は見えず、であった。だから曲によって、前で演奏したり後ろで演奏したり、というわけだ。客席は横向きか正面(舞台の方)を向いているので、オルガンはお客さんから見て側面か後ろに位置するわけだが、オルガンの音は教会全体に鳴り響くし、そもそも演奏している姿が全く見えないので、不都合は感じない。
最初の曲はベルのために編曲された、フランスの伝統的なコラール。続いてオルガン独奏で大バッハの「プレリュード・ト長調」(BWV568) であった。その次は少女合唱団とオルガン伴奏による、15世紀の作者不詳の「アベ・マリア」、16世紀の作曲家トマス・ルイス・デ・ビクトリアの「ドゥオ・セラフィム」であった。
再びベル合奏に戻って、ジョン・ホプキンス・ジュニアの「3人の王」、「伝統的作品」(この意味がよくわからないが、ラトビア民謡か?私は聴き覚えがなかった)「初めてのクリスマス」を演奏。
古い曲だけでなく、現代の作品もあった。ジョン・ラター(情報がないが、英国人か?)と、我らがペレーツィスである。この演奏会で取り上げられたラトビアの作曲家の作品は、このペレーツィスの「ミサ・ブレウィス」のみであった。ラターの「クリスマスの子守唄」とともに、保守的な和声重視の作品、と思いきや、ペレーツィスは第1曲「キリエ」で不協和音というか、面白い和声進行が用いられていて意外であった。しかしこれは初めの方だけで、やがて伝統的な和声となっていった。以上は少女合唱団とオルガン演奏である。
次はまたベル合奏に戻り、ルイス・レドナーの「汝、小さき静かなるエルサレムよ」、そしてオルガン独奏で大バッハのコラール前奏曲「おおエルサレムよ目覚めよ」、再びベル合奏でケネス・ラベンバーグの「クリスマスの鐘」、少女合唱で先ほどのジョン・ラターの「ろうそくの光」、締めくくりはオルガンによるパドレ・バービド・ダ・ベルガモの「ソナチネ」が奏された。最後の作品の作者は、生没年が1791~1863年、名前からして北イタリアのベルガモの人なのであろう。今年の9月、北イタリアを旅したときに立ち寄ったベルガモを思い出した。ちなみに、ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」というのは、ベルガモを題材にしている。
以上、大バッハのいくつかの曲を別にすれば無名の作曲家や作品ばかりで、非常に地味ではあるがよい演奏会であった。この時期は有名なスターが出演して派手な演奏会がいくつもあり(高い入場料を取って)、人を集めていて、その中にはチャリティのもあるのでそれはそれで意義があるのだろうが、こういう地味な演奏会こそ好もしく思える。
週が明け、本格的に雪が積もっている。そのせいか、少し暖かくなった。良いクリスマスになりそうだ。