プラキディス還暦コンサート、など
29日、ラトビアの全国平均気温は15. 9度で、観測史上9月の最高気温だったそうである。温暖化が進行しているのだろうか。
さてこの一週間で、3回もコンサートに行ってしまった。
まず23日(日)は、大聖堂のコンサートに行った。日曜の夕方というのも悪くない。そういえば、北條さんのピアノ・リサイタルも、9月の日曜夕方だった。この日行われたのは時代も様々、国も様々、編成も様々な作品を集めたコンサートなので、何と呼んだらいいのだろうか。いつものように「オルガンコンサート」と銘打っていたが、オルガンを使わない曲もあった。プログラムはN.スネイベというラトビア人女性作曲家の「呼ぶ者の声」というカンタータ、バスクスの「テ・デウム」、ペレーツィスの「朝の歌」、そしてメインはNics Gotham という作曲家(イギリスかアイルランド?)の、Canticum Fratris Solisという宗教音楽の世界初演であるが、冒頭と各作品の間に中世の聖歌が挟まれていた。私はグレゴリアン・チャントのブームに乗せられなかったので(嫌いなのではない)、よく分からないが、グレゴリアン・チャントではなかったと思う。バスクスの「テ・デウム」は1991年発表であるし、ペレーツィスの作品も初演ではない(初演については過去のブログ参照)ためか、二人とも来ていなかった。バスクスのファンには異論があるだろうが、このオルガン独奏のための作品は、彼の最高傑作の一つではないかと思う。さて普段と様子が違っていたのは、この大聖堂のコンサートでは普通演奏中も照明をつけっぱなしにするが、この日は途中で照明を消し、外からの明かりを取り入れたことである。丁度秋分日であったが、7時を過ぎてもまだ薄明るい。盛りだくさんのコンサートではあったが、終了は8時15分頃であった。時間的には短くともこれだけ充実したコンサートは良いと思う。
さて、27日(木)は再び新装成った大ギルドにて、作曲家ペーテリス・プラキディスの還暦コンサートがあった。演奏は、ここを本拠地とする国立交響楽団。通常平日のコンサートは7時からと相場が決まっているが、このコンサートは7時半からであった。切符売り場に行くと知り合いの作曲家連盟に勤める女性が立っていて、少しお喋りしつつ行列に並んでいたら、「ねえ、こちらの男性が、あなたにチケットくださるそうよ」というので、喜んでいただいた。どうも都合が悪くなったらしい。コンサートに足繁く通っていると、いいこともあるものだ。礼を言って見ると、招待券と書いてあり、なかなか良い席であった。プログラムはもちろんプラキディスの作品だけであり、前半は冒頭に独奏バイオリンのあるMusica jubilate という作品のリーガ初演(本当の初演は多分スィグルダで、私が6月30日に聴きに行ったときのだと思う)、そして二台のバイオリン、ピアノと弦楽合奏のための協奏曲「バラード」、チェロと弦楽合奏のための「ロッシーニ風パスティーシュ」、後半が交響管弦楽のための「伝説」、クラリネットと交響楽のための「もう一つのウェーバーのオペラ」と題する協奏曲であった。
というわけで、全て独奏楽器と管弦楽のための協奏曲から成るプログラムなのだが、プラキディスの作風にあった編成なのかもしれないと思わせた。もっとも、気のせいかもしれないが。
最初のMusica jubilateは指揮者と独奏者が登場すると、いきなり演奏を始めるという趣向。ただこのソリストは早いパッセージを弾くと今ひとつ歯切れが悪いように思われた。次の「バラード」は、ロシアから招待されたバイオリニストと、プラキディス自ら弾くピアノとの掛け合いが聴き所で、面白い作品であった。「パスティーシュ」は、昨年発表、ラトビア独立記念日のコンサートで聴いたことがあるが、そのとき独奏を務めた若手女性チェリストが夏頃から背中を痛めているらしく(それでプログラムが変更になったことがある)、この日は中年男性チェリストが独奏を務めたが、全体的にソツのない演奏であまり面白くなかった。ロッシーニ風だからそれでも良いのかもしれないが、プラキディス独特の諧謔の味がもっと出ても良かった。
後半、最後のクラリネット協奏曲(という名称ではないが)は、ともかくクラの技巧に目を見張るものがあった。しかも伸びのあるつややかな音色。こんな凄いクラ奏者、日本にいるだろうかと思ってしまったほどである。アンコールはこの曲の最終楽章をもう一度、だが大いに盛り上がった。それにしてもチケットが安いにもかかわらず、お客さんはそれ程多くなかった。もっと自国の作曲家に目を向けても良いと思う。それは我々日本人にも言えることである。
そして昨日、29日(土)の昼間、オペラ座にて室内楽コンサートがあった。本劇場の脇にベレタージュ・ホールという、小さなホールがあるのである。オーストラリア(オーストリアではない。豪州には多くのラトビア人移民がいる)から、亡命ラトビア人の血をひく若手女性ハープ奏者を迎え、やはり若手女性のチェリストと、ソプラノ歌手と競演した。前半は我々も知っているようなクラシックの名曲、後半は現代オーストラリアとラトビアの作品、という興味深いものである。
前半はフレスコバルディ、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、フーゴー・ウォルフ等の歌曲、そしてガスパール・カサドの「(無伴奏)チェロのためのプレリュードと即興曲」、フォーレの「子守歌」。後半はオーストラリアのグレンウィル・ヒックスのCome sleep、スチュアート・グリーンバウムの9 candles for dark nights、そしてアンドリュー・フォードのThe Biethday of my lifeという作品の後、ラトビア音楽に関心のある者なら誰でも知っている、E.ダールズィンシュの「メランコリックなワルツ」、やはりラトビアの作曲家ヤーニス・キェピーティスの「チェロとハープのためのソナタ」、そして若手作曲家アンスィス・サウカの愛すべき歌曲「ソプラノ、チェロ、ハープのためのエレジー」で締めくくった。サウカ氏は会場に来ていた。
ハープ奏者のジェネビエーブ・スウェン=ラングはオーストラリアで生まれ育ったが、ラトビア語は訛りがあるものの流暢に話し、外国人が聴きに来ていることに配慮して、曲目解説とお喋りをラトビア語と英語で行った。トークで印象に残ったのは、オーストラリアの(他国でもそうだろう)ラトビア人はアイデンティティを維持するため様々な活動を行い、その中で好んで演奏される曲の中にこの「メランコリックなワルツ」もある、という話だった。本国のラトビア人もそうだが、なんと言っても亡命者には、この曲には特別な意味があるようである。そういう意味でも深く考えさせられるコンサートであった。